悪くない、という救い

鈍感な人に囲まれていると、ん、と思うポイントがたくさんある。私はいつもそのポイントで自滅して、私が過敏なせいだ、気にしすぎるからだ、どうして、私はあの人たちみたいに図太くなれないんだろうと思っていた。

これを人に話すと、①考えすぎだよ〜あはは②だよねーやだよねー で①では追い討ちをかけられ②では救いが無くなってしまうのがだいたい。で、この前母に言われたのが

「気づいちゃったら、あ、私は気づいたな、でいいんだよ」ってことだった。

気づくのは悪いことじゃないんだよ、だから私は今気づいたなということを受け入れればいいみたい。受け入れるっていうのが今まで腑に落ちてなかったんだけどすんと落ちた。

精神科の治療をする上で、「感じちゃいけない感情なんてない」っていうのが大前提としてあるらしい。私は卑屈だから、「どうしてそんなことを言ってあの子はのうのうと生活してるんだろう」っていう感情をよく抱くけど、これに対して別に感じてもいいじゃん!って開き直ることがその在り方なのか?と思っていた。でももっと落ち着いているものみたい。悟りの境地というか。「あの子に対してすごく嫌だと思っているな」という、ある種の客観性。大前提がようやく理解できた。

このマイナス感情をそもそも抱かない人と、抱いた上でそれを処理できる人。私が接してダメだと思いがちなのは前者。無意識のうちにできる人たち。でも意識してしかできないなら、プロセスを踏むしかない。私は後者の方が好きだし、無理して自分を殺してなれない前者になろうとするくらいなら、広い人の気持ちがわかる後者になりたいよ。

 

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価値という呪い

自分の価値を考える、役割を考えるということが呪いになっている気がする。

 

これは前述した国際系サークルで言われたというか、漂っていた考えなんだけど。このサークルは入るのに選抜があって(参加大学が有名校なので)、ESや面接を乗り越えて入る。倍率も高い。だから自ずと入った時に、自分はどうして入れたの?と思ってしまう。

周りはいろんな肩書きを持っている人が多かった。肩書、というか、高校卒業段階ですでに成し遂げて来たことが多い人たち。私は受験勉強だけしてここに入学したから、萎縮した。さて、と同期を見渡して、では、ここにおける私の役割とはなんだと思った。自分のパフォーマンスをいかに発揮してサークルに寄与することが求められていうのか?他者と差別化されている部分はどこか?を考え、見つからなかったので、同期に聞きまくった。私の長所って何かな、と聞きまくるの、狂気の沙汰だと思う。

 

前回落ち込んだ時にふっとよぎった「大学教育を受ける『価値』がない」とかいう、「ここに自分が存在している価値」をすぐ考えて、価値の否定をしてしまう思考は、実はあんまり周りの人は持っていないらしい。びっくりした。そんなこと考えたことないと周りの日本人に言われた。自分に税金を投資する価値とか、考えたことないんだ…

 

当たり前に考えていないよりプレッシャーを自分でかけることになっている。

働き出したらまた、「このプロジェクトに投資する価値とは…」とか、価値を考える機会も増えるのかな。正直この場における自分の価値、っていうのは、考えて行動すべき側面もあるんだけど(利益関係など)、私の場合何でもかんでもそうしてしまって自分自身の価値の否定へと繋がっている気がする。幸い私は良い親の元で育ったので、自尊心を持って成長することができたけど、そうじゃない場合もこうなりやすいのかな?(気分を害してしまったらごめんなさい)否定する価値が初めからないような感じになるんだろうか…

 

留学させてもらう価値とか、大学で教育を受けさせてもらう価値とか、させてもらってはいるんだけど、自分が選んで頑張って認められて掴んだ場だよね、大前提として。公式なものを持ってすれば「入学許可」があるわけ。ここで勉強してもいい存在であるとみなしました、っていう。その後の顛末は別として、やばいと思ったら、「来ていいんだよーって言ってくれたんだし大丈夫だよ」ということを思い出すようにしている。

落ちてしまった人のことまで考えて行動するのも大事なんだけど、それが行きすぎて自分の首を締めると意味ないので。俺は選ばれてここにいるんだよ!それだけの能力(結局価値?)があるって認められて来たんだよ!好きにさせろ!くらいに思っちゃってもいいのかもね。私みたいになっちゃう人は。

 

(あと厄介なのが言語偏重社会での自分の価値とは…とか…、私は若干言葉にコンプがあるから、改善してかないといけないけど)

 

就活をするにあたって、自分がこの会社で頑張りたいこととかも、役割価値志向と結びついているところがあって、それがあって結構ES書くのがアレルギー的に無理だった。だからサマーインターンを一個も受けずに留学に来ちゃった。私は何事も割り切るのがそこまで上手じゃない。でも価値の呪いに気づけたので、少しずつ巨視眼的に捉えられるようになってくれないかな〜と、思っている。

 

※価値がないなら創出するように行動しろよ、という指摘はここではちょっと違うような気がしている。自分の特性と結びついた価値について考えるとき、それがなければない、になってしまうと思う。ま〜適当なブログだし適当だよ、、

 

言語とオタク

さっきwikiでときめき案件に出会った。

 

敬称 - Wikipedia

 

というのも授業で枢機卿について触れたからで、枢機卿って何、、となって調べたら「猊下」という敬称にたどり着きレアすぎん!?となって飛んだらたくさんの「下」がつく接尾形の敬称が掲載されているページが出てきた。こういう無駄知識を蓄積するのが好きだ。めちゃめちゃいいページ。英語版のページだとこういう敬称がざっくり削除されてて敬語についての説明しかされてなかったので、ええ書き直したろか?と思ったけどそこまでする労力もなく。南無。

 

ここで私は小学生だった時の楽しさを思い出す。

思えば昔からオタクっぽかったんだと思う。漢字そのものが部首の漢字ってたくさん存在するんだけど、(口、耳…とか)それを漢和辞典を読み込んで書き抜いていくっていうのを小学校の時やっていて楽しかった。*1今でも覚えている衝撃は「鼓」です。あとその部首に一つしか属さない部首とか。これも「鼓」です。*2

 

今振り返ってまたwikiで調べてるんだけど、歯とか鼎とかいろいろ出てきてそうそう!ってなってとても嬉しい。昔好きだったものを発掘して見てるみたい。

これをやっててよかったことは父が回転寿司屋で頼んだ酒のラベルに書いてある「甕」が読めたことくらいです。

 

あとは、日本語は名詞の数え方が変で、例えばタンスは1竿2竿って数えるし、羊羹も竿。こういうのが好きでいつぞやのクリスマスプレゼントに「数え方の辞典」をリクエストして来たので読んでた。また読み返したいなあ。

 

それと都道府県のマークが無駄に当てられます。

今思うと収集家なところは昔からなんですね。三つ子の魂百まで。

*1:調べたら漢検対策でこれをする人も多いみたいですね、私は漢検未受験なのでこんな物好きなことする人はそんなにいないと思ってました…

*2:今調べたところJIS第二水準だと))))

kanjitisiki.com

があるみたい…

いいこと

最近は精神が安定してたのでさっきまで更新してなかったから、最近のいいことを思い出す。なんの根本的解決にもなってないけど。

 

・友達がみんな帰国したけど新しくできた

大抵の留学生は一学期だけ交換留学してるみたいで、3人いた友達3人共帰った。1人は一年いるはずだったんだけど母親が亡くなって、大学のカウセがクソだったらしくて帰国してた。彼女は前に触れたエシカルヴィーガンで強めのフェミニストで、不眠気味だったし、ゆえにアメリカ人だけど少しダウナーで友達もそんなに多くなくて常に気を張ってそうだから鬱にやられそうな感じはする。

1人は日本大好きベトナムオーストラリア人、国を超えてこんなにも仲良くできる子が!と思ったけど旅行したらやっぱ気が強くてきつかった 後1人は清華大の子、今は北京に住んでるけどよくよく聞くとウルムチ出身…?とかなんとか言ってた。ウルムチから清華って相当すごいと思うんだけど…?この子も気が強かった。

前者2人と仲良くしていたその子と同じ寮に住んでいるイギリス人の女の子が、私にとっての友達がつまりその子の友達も帰国してしまったので、週一回一緒に晩御飯を作ろうと持ちかけてくれた。

ちなみにその子と1人目のアメリカ人が仲良くなったのは、その子が乳製品アレルギーでアメリカ人がヴィーガンなので、一緒に晩御飯を作ろうとアメリカ人が誘ったことだったらしい。入学して一瞬間で、まじ帰りたい、大学まじだるい…とズルズル歩いてたところに廊下で言われて、

英「いや私食べ物はちょっと色々めんどくさいところあるから…」

米「いやいいよ、クリームソースのパスタ作ろうと思うんだけど」

英「私乳製品ダメなんだよね…」

米「ああ!私ヴィーガンだから豆乳だよ、気にしないで」

かわいらしい話だ。

 

英ちゃんは他の入寮者と同じく一年生だったので、18だと思っていたら、実は高校卒業して働いてから入学したみたいで、私と同じ21だった。私の寮も一年生しかいないからわかるけど、クラブとか毎週のように一年生は行ってて、うきゃきゃきゃきゃー!って感じで、ちょっとついていけないのだ。同じ寮の人達に対していまだに自己開示してない感あるし、出るまでしないと思う。後学科の友達もいない。留学生が来る前にコミュニティが出来上がってた感じしたし、みんな高校生みたいだから…。彼女も学科に友達がいないみたいで、唯一の友達が米ちゃんだったみたいなので、はみ出もの同士うまい具合に友達になることができた。

 

後、日本人のサークルが、外国人対象に書道ワークショップするとFBに書いてあったので、私は書道部部長だったので、無双しにいくかと思って参加したらお話しできる人が2人できた。日本人のサークルのいつめんになるのはめんどくさいのでやめた。日本ご学習者の日本語、味わいがあって良いです。

 

・ダイエットを始めた

アップルアカウントが復活したので、写真の整理などしていたところ、昔の写真が出てきた。顔の丸みが違うので愕然とした。後ちょうどその時ぺこが(ぺことりゅうちぇるのぺこ)ダイエットについてなんかインスタで言ってて、ぺこが最高に太ってた時の足が今の自分の足やん、下半身太り最悪、確かに最近スキニーがきつくなった…と思い初めてダイエットを実行に移すことにした。三日坊主をやめる!

糖質、なんだかんだでとってしまってたのをまた減らして、毎日むくまないようにマッサージして寝てる。ふくらはぎに筋肉がなくて超むくむ…。あとは勉強する時足に本挟んだりとか。今までダイエットできたことないので、それだけでも私頑張ってる!と感じられて良い。

これは不健康な理由とかじゃなくて、やっぱり痩せてた方が、目が大きく見えて可愛く見えるんだよ…と個人的には思うので。ガリガリにはならないし慣れないと思うので健康的に今より痩せたいです。

VSレポート戦

レポートが嫌いすぎる。

留学生用に大学が英語のwritingクラスを開講してくれてて、毎週通ってる。今までは講義だったからよかったんだけど今日は実際に短い文献まとめたもの渡すから参考にして250wordsくらい書いてみよ〜!という実践型だった。

 

250wordsといえばイギリス英語圏?留学生おなじみIELTS writingの Part2で課されるワード数と同じなので、参考文献もあるし、discuss形式で出題されるのも慣れてるし、流石に今回はフリーズしないだろうと思って。

 

でもうまく行かず、、discussに持っていくのが難しい内容だったと個人的には思ってるんだけど、そんなに深く考えなくてもよかったのかなあ。頭フリーズして、いつものessay書くみたいにあーこれ頭動かないやつ、となって涙が出てきてそのままトイレにこもって一時間くらい泣き続けました…(授業は二時間なのでその後戻ってボロボロのまま最後まで一応でた)人前でこんなにボロボロ泣けるの、泣けない人には泣けていいとか言われるんだけどなんのデトックスにもならないし自分の感情コントロールのできなさにまた涙が出る。帰り際に鈍感な日本人に「途中消えてたね(笑)どしたの?大丈夫?」と聞かれて「議論って言葉がトラウマなので…」とかめちゃくちゃ返して逃げ去ってしまったし、いらん情報を与えたことに対しても幻滅、無視して帰ればよかった…大丈夫じゃない人に大丈夫?って聞くのどうなんと思うんですけど、どうなんでしょう…

 

レポートとか、いろんな計画書とか、苦手。情報収集は得意なんだけどそこから組み立てるのが壊滅的で、しかもそこから反対意見を書いてそれを乗り越えて自分の結論までたどり着かないといけないっていうのが、道のりが遠すぎる…(ストレングスファインダー  収集家気質参考)

大学の授業も講義の方が好きだし、知ることで満足するタイプなので大学教育において私は価値がない人間だよな〜というのは常々。

議論が重視される(?)ような意識が高いと言われがちなサークル(外国の学生と議論して見聞を広めよう!みたいな国際交流、その議論の場を運営するためにさらに日本人との話し合いが求められますね)に大学入ってすぐ一年間どっぷり浸かっていて、いやほんと私の大学一年はそこに費やされていたんだけど、そこでの自分のできなさぶりに気づいたのがはじめだった気がする。

人の意見でも何でもかんでも鵜呑みにしがちなので、情報を得るときに気をつけてはいるんだけど、ただそれが「んーそれはちょっと違うけどあなたはそうなのね」みたいなレベルで終わってしまい、それをねじ伏せて自分の正しさを主張するみたいなことはしてこなかったわけ。何も話し合いの場で言えない、いうことがない…。

批判的思考が弱いと思うんだよね…これが私が批判的思考ができないっていう思い込みに発展してて。これは受験期に数学ができない…って一時期数学の問題見ただけで涙が出るみたいになってたのと同じで、乗り越えないといけないと思うんだけど…(これは幸い良い先生に出会って乗り越えた)

これが思想系の学科に進んでできないなってなったのも鬱の一因な気がすんだよね

 

レポートを書くときも同じで。まあそんなの自分の意見じゃなくていいんだけど、それでも意見をでっち上げて書いていくっていうのが。調べて材料は揃ってるんだけどそこから言いたいことを作り上げるっていうのができない。構造作って、そっから書くんだよ〜っていうのが無理。たとえ反論を超薄っぺらいものにして構造がかけたとしても文章にしてみるといつも短すぎる。昔は文章書くのも好きだったはずなんだけど、自分の言葉に全く自信持てなくなった。

で、レポート書くたびにめちゃめちゃ苦痛で、泣きながらでも学費払ってるし最終学歴高卒は不安すぎるってなるので卒業するためにゴミみたいな文章を提出だけして可をもらいズルズルと生き延びているわけ。留学先でも同じ。先学期のレポート3本、順に52,51,48点で返却…

書くたびに割り切ろうと思って割り切れず毎回泣きまくり、喉元過ぎれば暑さを忘れるを繰り返してたんだけど、流石に今回授業から退出してしまったのでいつまでも逃げているわけにはいかないよなあと思った。

 

discuss て文字を見ながら、ああ、議論か、できないなー、批判的思考が弱い、ここでの価値がない、また書けない、英語力以前の問題、でも先生に相談しようとも英語で相談するハードルが高い、あーやばい、書けない、考えられない、ここから前に進まない、でも私センター試験も入試も乗り越えてきたから論理的に考えられないってわけじゃないよね、IELTSも書いてきたよ同じ分量同じような文章、書ける書ける、(ここで一呼吸置いて書けたときのことを思い出すような考え方できるようになったのは進歩)いやいつまで過去にすがりついてんの(ともなる)、いや書けない、あーだめだ、逃げてばっかじゃダメだよ書けるようにならないよ、俯瞰して、ただの課題じゃん、こんなの大学以外では求められないよ、でも大学をドロップアウトする勇気がない私にとっては目の前の大学生活が全てなのだ。

 

はい無理ー退出します〜

 

レポート書けない 大学生 とかで調べてもなんか論点が違うというか…。批判的思考 できない で出てくるのが話すときの型を作る!とかでいや書く時の型を知った上でこれなんやけどと思って批判的思考できない 死にたいで検索しても誰も死にたいと思ってない!なんで!ある程度の大学入ったらこういう悩みを持つ人が学年に50人くらいいてもいいじゃん!と思いつつ、こういう人はみんなアウトプット苦手なので何も変わらないのかなとも思った。

レポートが書けない学生のために穴埋めレポートを課した教授の話とか出てきて、穴うめとか、そういうのはできるんだよ… 日本式義務教育に適した頭をしているので。

 

これ一回退出してしまうと退出してしまったっていう事実が残るから、来週は平穏に最後まで出席できるかなあっていうのが不安。日本に帰ってから学校行けるかなっていうのにもなんの関連性もないけど漠然とした不安。ああやっぱりまとまりがない思考がそのままの文章になっちゃった。多分このままいくと私はなんとかこの不安を表面に持って来ずに生活を続けることはできる。でもこのままでいいのかわかんない。改善策もよくわかんない。日頃からレポート形式の文章を書くとかしないといけないんだろうか…

たたり目

クレカの不正請求にあった。2ヶ月ぶり2回目。弱る。

前回はデビットがやられた。旅行に行く前日に発覚した。

今回はクレカ。しかも、3Dセキュアだから、ネットショッピングとかだと二段階パス入れないと使えないやつ。カードのセキュリティとしては強いと思っていたし、寮費とか大きな買い物に利用する一番大事なカード。ただしアマゾンでの利用とかスマホからの課金とかでは二段階経由しないで使えるみたい。調べたら同様の取引先から不正請求された人のブログが出てきました。返金はされるけど、気持ち悪い。

 

手続き

①不正利用発覚

②カード停止

③カード再発行・緊急カードの発行(10800円)

 

不正利用だとわかったら次にセキュリティのためにクレカを使用停止にするのですが、海外生活で日本で発行したクレカを止めると大変です。特に私のように一年間で帰国することが決まっているような場合、口座を開設せず(本当にめんどくさいので)クレカでキャッシングして生活している人も多いと思います。なので止まると本当にお金が使えなくなる。カスタマーセンターには時差を計算して電話しないといけないし(今朝7時に電話がかかってきた)、国際電話だし、再発行で送付できるのは日本国内だけだし。本人確認と安全の観点から電話でしか手続きできないのはわかるんだけど、わかるんだけどメールとかどうにか全世界で行いやすい手続きの仕方を誰か作ってくれないだろうか。再発行したクレカを送ってもらうのも心配なので、基本的に一枚減ったまま生活して行く必要がある。

前回はデビットだったので特に緊急対応はなかったけど、今回はしっかりしたクレカだったので緊急カード(1ヶ月間)を発行してもらうことができた。ちょうど1ヶ月後に家族が私を訪ねて初の海外旅行に来るので、そこで国内再発行されて実家に届けられた新しいカードを持ってきてもらえますが、それがなければ、本当に危なかった。ていうか、忘れる可能性もあるっちゃある…

でもその緊急カードも危うくて、住所を電話で確認してしっかり伝えたはずなのに、住所が不明瞭だから配達できなかった、追跡ついてるから再配達を頼むように自分で配達会社に頼んでくれと言われて、えぇ…となっていたら届くし。なんだったんだ。

 

持ってきた2/3枚のカードがやられたので、凹む。生き残りの一枚は旅行用デビットなのでネット決済に利用できず、鉄道のチケット等ネット購入が推奨なので(田舎なのでロンドンに出る際など)緊急カードは10800円かかっても必要でした。

 

こんな短期で二度やられるとは。キャッシュレス社会の実現に反対しています……

 

それで安全のためにと色々なパスワードを変えた訳ですが、そこでまた落とし穴。

一年で帰るので、日本で利用していた携帯番号を使わずに保存しておく(凍結してるようなもん)サービスを利用して、こちらでは現地のSIMを差し替えてスマホを使ってます。するとイギリスの番号が手に入る。iphoneの設定から電話番号を更新しろしろと通知が来ていたんだけど、いざしようとするとややこしそうだったので、更新をおろそかにしていたことを忘れていて、そのままappleのパスを変えてしまった。

すると、2ファクタ認証を使っているので、最初のパスを入力した後に送られて来る一時的なパスワードがSMSに届かず(日本の電話番号は凍結してあるが、それしか登録していないので、その番号に送られる)、ログインできない。兎にも角にも電話番号がないと何もできない。多国籍企業〜〜電話番号じゃない何かを導入して〜(してそうだけど私が知らないだけな気がします)結局アカウント復旧しか手立てがなさそうで、支払い用に登録していたクレカはさっき利用停止になったので本人確認できる要素がさらに減って復旧までに相当時間がかかりそう。あの〜、iCloudにログインできないんですけど〜。アップルミュージックでDLしたもの何も聞けないんですけど、てかほとんどなんですけど。自業自得なのでもうやりきれない……。クラウド、バックアップ体制としてはどこからでもアクセスできるし一番いいんじゃん?と思ってたけど人間自体がポンコツだと最良もクソもないです。

 

あと奨学金の申請がうまくいかず全額返金の可能性もなきにしもあらず。早く返事をください。またこれがイギリスの機関と日本の機関、と私を通して4重くらいのやり取りをしているので、中間管理職って大変なんだろうなと思いました…。しかも私が英語でメールを書いて、英語力が足りす先方を混乱させ、危ういことになっているので…

 

ということでこの3日間心のどっかに懸念事項が石みたいに居座っていて、重い。眠り浅い。きつい… ただクレカの件が緊急カード届いて一件落着したのでとりあえず全部吐くとはてなにかけたのはよかった。 いつもみたいにブワーってくる自己嫌悪じゃなくて、重みがずーっとある感じで、ツイッターする気力も無くなって(距離の近い人のつぶやきも見る気力がなくなった)メインで利用してたアカウント消して情報ROMだけしてる。授業にズルズルすごく頑張って体引きずって行って授業後はベッドに倒れ込んでいた。 天気も良くない。こういう時、あ、やべ、鬱だった時…となりそうになるんだけど、まあこういう時もあるよねと巨視眼的に見れるようにならないと、帰国して就活なんてできないよなあと反省……。明日ちょうどemotional resillienceのワークショップに参加申し込んでいた数週前の自分、GJなので、転換点になるといいなあ。

 

 

今見たらアカウント復旧の「準備」完了が6日後で、そこからまた復旧の手続きしないといけないみたい…

Loving Vincent

lovingvincent.com

 

今さっき見て来ました。邦題「ゴッホ最期の手紙」

う〜〜〜〜ん!邦題役するときのなんとも言えない歯がゆさが出ている感じ、、

英語版字幕なし(イギリスなので当たり前だ)。私の英語力ではところどころ理解しきれず、、まあ映画の場面転換とかについていくのがあまり得意ではない人間なので日本語でも全て理解できたん?と考えると微妙だけど英語よりは理解できたでしょうね。しかし良かったと思える映画でした。

 

ゴッホの自殺を巡る物語ということで、美術史かじりとしては見なければならないと思い。しかも世界各国からアーティストを募って、ゴッホ風のタッチの油絵をつなぎ合わせて制作されている、と聞いて。手作業で!?びっくりです。

 


BBC piece about Loving Vincent, the world’s first fully painted feature film,

 

このドキュメンタリーが制作過程がわかりやすかったです。

 

あまりこういう感想を書くことが得意ではないです。それぞれのシーンで思ったことがあるはずなのに映画館で映画見てるとメモったりとかできないし。なんかについて書くなら複数回、はじめ止めずに、次要所要所で止めて…って見てやりたい。でもできないのでわーっとメモ書きます。

私もたまにダウナーなときに落書きするのとか、対人のコミュニケーションをかなり人を選ぶところとか、近視眼的なところとかが、程度は違うけど要素としては持っているものがあって、感情移入がものすごかった。この映画で最も注目すべき点は画面構成なんだろうけど画面の芸術性とは全く関係ないところでボロボロ泣きました。

 

ゴッホ、人を目の前にした言語による感情表現が苦手で、でも感受性が強く、いろんなことを感じて考えてしまうので、テオにたくさんたくさん手紙を書くんだと思うんです。自閉の傾向があるのかなあ、と思わせるような。

私は特に精神的な問題を抱えたことは(軽度の鬱以外)ないけれど、気持ちに波がある人間だから、彼にとても感情移入してしまってしんどかった。特に病院に通う、とかでなくても、生きづらいと思ったことがある人なら、視野が狭くなって、わーって、自分をぐちゃぐちゃにしてやりたいと思って、我に帰るとか(帰れないこともあるけど)、自分のモヤモヤした感情を言語化したくて、友人やカウンセラーや家族の前で躊躇したりうまい言葉が見つけられなかったりしてずっと海の中でもがくような感じだったりする経験があるかと思う。で一生ツイッターの鍵垢に悶々と投稿し続けるわけ…。

(こういうのがないひとに「ま〜私はないわ、はっはっは」とされてしんどかったです、例の旅行の彼女…)

 

例えばゴッホが耳を切ったとき。どうしようもなくて。どうしたらいいかわからないけど頭の中の思考が止まらなくて。例えばゴッホが自分を撃って、ふらふらになって、手についた血を見たとき。ああ、何してるんだろうって思ったと思うんですよ。それで、「自分がいなくなったらみんなにとっていい」みたいなことを言う。これ自殺したいと思ったことある人共感できるんじゃないかなあ。

 

エンディングロールでゴッホや周りの人の言葉が流れるんだけどそれがまた苦しかった。

He felt everything, poor Vincent, 

貧しい彼に画材を工面していたタンギー爺さんの言葉。なんと言うか感受性強めの身として勝手にガンガンに感情移入してしまった…。(ゴッホなんかと比べんなよと言う話)映画の中で別の女性が'Nothing in life is too humble for Vincent'みたいなことを言っていて。世の中の普通の人には感じられない世界がその人にはあって、普通の人からは見向きもされないだろうけどたまにタンギー爺さんみたいに見てくれる人がいる。それは祝福すべきことなのだろうか。poor、とタンギー爺さんは言った。結局それが現実なんじゃないの。天才は羨むべき存在だろうか?何かの分野において突出している人間を羨むことは珍しくないけれど、私はその裏にあるその人しかわからない苦悩を察して勝手に羨むことはできないなあと思う。

 

I want to touch people with my art. I want them to say 'he feels deeply, he feels tenderly' 

これはゴッホ本人の言葉で、エンディングロールの一番最後に流れるんだけど。なんて悲痛なんだろう。どうしたってこの世界は言葉偏重主義だ。人を目の前にして、うまくコミニュケーションできない人間が、自分が魂を削って書いた絵で、私はこう思っているんだよって伝えたいことを、これほどまでに正直に表現できるのかと思った。打ちながらボロボロ泣けてくる。 

 

I am seeking, I am striving, I am in it with all my heart. 

 これはゴッホ本人の言葉だけどエンディングロールにはない。調べたら出てきたので。

自分の本心とやるべきことを割り切ってできる人は強いなあと思う。いろんなことを引きずって、感受性と引き換えに感じ入りやすく、もがくようにして生きている人は、自分の気持ちに正直でないといけない割合がそうでない人よりも高いように思う。自分の気持ちそのままで、ボロボロになりながら生きたゴッホの生き様はこの言葉に集約されているように思う。これはグラデーションの問題だとは思うけど、どちらかというとそっち側にいる人たち(私を含め)に、良い未来はあるのかなあ。