バベルを建てたり壊したり

 

https://misanthropeabroad.wordpress.com/

 

 

連ツイにちょっと修正してまとめたのが以下

 

こちらでできた数少ない友達のブログ、異言語でもこんなにひしひしと伝わるのか、と思う 日本語でもうまくこれに対して感想を思いつかなくて、英語では増してもっと当たり障りなくI like the way you write.としか伝えられなくて、バベルを恨むことになる

 

普段の彼女はヴィーガンフェミニストで皮肉屋で尖ってて墨入っててね 小柄だけどね、まさしく山椒はぴりりの具現化なのだ それでいて歴史や文学に興味があるところもまた良くて

 

私の読解力ではわかんない単語もたまにあるんだけどそれにしても英文学って読まないし読んだとしても(課題論文などが中心で)ブログをこう熱心に読むこともないので、英語での感情の吐露も、日本語でのそれも、普遍性があるんだなあっていうのは不思議だ、そうではあると思うけど

 

彼女は高等教育をdisってて私もそうは思うけど彼女の分からはやっぱりwell-educatedさを感じて良い文、読み応えのある文章と思っちゃう、彼女のどうにもできない感情を、消費していて申し訳ないけど…

 

以上でつい終わり

 

 

彼女に寄せて

彼女が文学の授業で「こころ」英訳版を読んでいた時、kindleで日本語版の画面をチラッと見せて「日本語ではこうなんだよ」って言ったら「elegant」って言ってくれたことが、私は漱石のファンでも日本文学にも全く詳しくないけどとっても嬉しかった。謙遜というか率直に「(縦書きで右から左で三種の文字で)変だよね」って言ったのに「This seems more elegant (than English)」こころの原作言語の、言語のその形、言語のヴィジュアル、視覚としての面を目の前にしてelegantと素直に感じて言葉にしてくれたことが 、私はとっても嬉しくて、覚えているんだ。

 

突然帰国を決めたとき、最後にみんなで廊下で話した時に、いつものように平気で皮肉っぽい彼女と腫れ物を触るようにその話題には触れないフラットメイトたちの会話が一旦途切れて、私は彼女になんて声をかけていいかわかんなくて一言だけ「You need some rest」って言ったら「〇〇 just said what I need eloquently」って言ってくれて報われたと思った。(私が彼女の悲しさで報われてて申し訳なさ)日本でメンタルを病んだ経験が生きたかも、というか、彼女の辛さは比べ物にならないだろうけど、私は仲間だよと(欺瞞ですが…)思った。そして彼女の周りの人や文化はそうしたことにあまり慣れていないような気もしたから。そのときは周りのフラットメイトたちのように言葉がスラスラ出てこないことを感謝した、その分私は選ぶことができたなと(英語力の問題もあるけどどっちかというと日本語英語とわずそう言った状況の人に対しての言葉選びへの感想)

 

私は彼女と話すときも(というか英語話者と話すときは大体)英語力以前の問題ですぐ話題に困ってあんまり仲を深められなかったんだけど、特に彼女の場合は後悔している。アメリカ発音なので聞き取りやすくては助かったけど、発話が日本語だったら。私はビビッと仲良くなりたいと思った女の子だったら逆ナンするレベルでこちらからアプローチする傾向にあり、彼女は知れば知るほどそういう女の子だ。女の子と言われるのは嫌かもしれないね。そういう人だ。

 

 

そもそも英語に対して日本語でこうやって一方的に自分しか理解できないように見えないところで感想を書いて公開しているのが彼女の生活を消費していて、申し訳ないんだけど、留学したことで本当に国際交流できたかな(私は国際交流サークルにいたけど在籍時は表面的な会話しか海外大生とすることができなかったので)と思うのは、本当の感情を垣間見れたと思う時で、それは本当に限られているから私のエゴで記録させてもらう。