ストレングスファインダー

StrengthsFinder 2.0やりました。

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できることとできないことの凸凹な性格、なんとなく掴めてはいるんだけど可視化したい、と思ったので、周りも就活とかで使ってるし、やってみてもいいかなと思いました。というか受けた当時(3日前)はPMSかなんの影響かわからないけど超ダウナーな気分になっていたので、性格診断を受けたい…!!!という気持ちがすごくてやったのが本音。☆大事なポイントとして性格診断ではないです。こういう資質があるので、働く/生きる上で伸ばして、自分の強みにできるよっていうのを、あくまで簡単なテストに基づいて表示しているだけのこと…と理解しました、診断結果に飲み込まれないように(自戒)

 

本来は「さあ、才能に目覚めよう」電子書籍版を購入して*1TOP5の資質だけ(¥2000弱だったか…?)調べようと思ってたんだけど決済画面に進んだところ、

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2018新春割引〜!みたいなので全34資質の順番を調べるのが$89から$50に割引されていたので$50課金してしまいました。始める前にいろんなブログやHPを巡回したんだけど、34やった人は全員「1万円弱課金して〜」って書いていて、こんな割引率は見たことがなく、まんまと払ってしまった。スピとかマルチに引っかからないように気をつけたいまじで…

 

英語のテストを日本語に訳しているので、たまに問題文がよくわからんみたいな記事を見て日本語と英語どちらで受けるか迷ったけど、各問に対しての回答時間が20秒で、本能的に理解できることを優先した結果日本語で受けることになった。

こういう日本語英語どっちを使うか問題、例えば海外旅行の観光地のイヤホンガイドの言語どれを選ぶかとかにも関わってくるんだけど、その時はガイドが日本語であることによって伝わらなかった情報と、自分の英語理解力が及ばなくて理解できなかった情報、情報の伝達の齟齬や抜けがどちらが大きいかで判断しています。

 

問題はとても当てはまる、まあ当てはまる、とかから五択で選んで行く感じ。例えば

(インドア)1ー5(アウトドア)から当てはまる数字を選ぶ

なんだけどたまに二項対立じゃなくね?って時があってこれはどちらでもないを選ぶのでええの?って時があって、自然と日本語の選択肢から元の英語を考えてしまう場面もあった。例えば

目玉焼きはどっち派?

(ソース)1ー5(醤油) えっ、塩こしょうは…?じゃあどちらでもない、3?

みたいな。(これは訳の段階で齟齬が生じるとは思えない例だけどうまく思いつかず)

 

で、ちょこちょこ質問に答えていったところ、結果が出ました。

別に私の結果はどうでもええやろということで続きを読むにしていますが

自分の凸凹具合を、要素を可視化して理解できる点は課金してよかったなーと思いました。こういうとこで、無理しすぎずに調整して働くのが良いのか?というのが、前までは0だったけど5mmくらいわかった。

ただ問題文の粗雑さ?もあったので、まあそれが逆に鵜呑みにしすぎない引っかかりになっていいかなというところ。

*1:amazon.jpにはkindle版は存在しないが、gallup社でテストコードを購入すると電子書籍つきで、英語版のみって書いてあるけど日本語版の「さあ、〜」と同じものがkindle形式でDLできる

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エキセントリック

文化について思ったこと まとめ

 

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美術やりにきたんだけど、興味対象が印象派以降の近代、あるいは現代アートとかキリスト教が薄まって来た時だった(だからと言ってキリスト教の知識がいらないわけでは全くない)ので、今必修で古典〜ルネサンスの薄い概論をやってもキリスト教がわかんないっていう致命的な問題が発生していて本当にわかんない。

①まず専門用語がわかんない。絵はちょこちょこ見て来たから英語のキャプションもちょこちょこ見て来たから超有名なcrucifictionとかannunciationとかの単語はわかるんだけど今日apostleが使徒って12人って言われるまで推測できなかった。

②attributeがわかんない。これは覚えます、、、

③日本語のカタカナがいろんな言語から輸入されてるから英語で聞いてもわかんない。例えば福音書にマタイってあるけど、あれ英語だとmatthewになって、頭の中で一発でリンクしない。どうにかしてくれ。

総結論 勉強します…

 

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そういえば、キャンパスでは日本にいる時よりオリエンタルな柄のものを持っている人を多く見かける。チチカカで売ってるみたいなやつ。それってやっぱり、日本人がリバティとか西洋柄に憧れるように、また西洋の人は自分達にないものに惹かれるんだろうか。

 

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日本の芸術について学んだよと言われて、今まで具体的に聞いたのが

・縛り

アラーキー

・歌舞伎

・浮世絵→これのみ版画の授業であつかった

暗黒舞踏

だったんだけど、あまりにアングラ系が多いような気がして、日本の特異性というか、エキセントリックなところにやっぱり目がいくのかと。でも日本の芸術全てが全てアングラキッチュってわけでもなくない、、っていうか、日本国内で主流とされていない、どっちかっていうと異端なものについてがやっぱり海外ウケがいいんだろうか。こういうとロリータの西洋逆輸入とかにもいえてるのかな。

 

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思想を表明している人が存在する。友人にヴィーガンベジタリアン+酪農製品などすべての動物性食品取らない)かつフェミニストがいるんだけど、それを表明し従うことは日本においては容易ではない。日本でやると他人と違うし、まあ違うものは叩かれるし、フェミは逆差別だって叩かれる割合も西洋より高い気がする。(女性だけの国問題で論旨に外れた議論が加速していることからも)自分の信念にしたがっている姿は、強く美しいなあと思う。

 

ヴィーガンの友人は初めて持った。こちらでは食品を買う際にsuitable for vegetariansって表示がされてることがあるみたいに食の選択肢がある人が存在することが認められているなあと思うのだけど、見てるとポテチとかにも書いてあって、炭水化物多くてタンパク質取るの大変だし、健康のためにしてるのではないことが多そう。それよりも環境的配慮や動物への倫理的配慮から行なっていることが大半なのかなと実感ベースでの理解を得た。ヴィーガニズムwikiから引用っていうなんともいえないことをすると

ヴィーガニズムへの移行[編集]

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1931年、全英ベジタリアン協会の会合にて。中央にいる白衣の男性がマハトマ・ガンジーで、彼の右側に座っているのがヘンリー・ソルト。[19]

健康上の理由と言うよりむしろ倫理的観点から菜食主義を実践してきた者たちは、動物の利用そのものを避けようという議論を始めた。 全米ベジタリアン協会の1851年の会誌には皮革に代わる靴の素材についての議論が掲載された[20]

1886年イングランドの運動家ヘンリー・ソルトが執筆した A Plea for Vegetarianismが出版され、その中で菜食主義は倫理上避けられないことだと主張した。のちにソルトは動物福祉から動物の権利パラダイム・シフトした最初の人間の一人として知られるようになった[21]。彼の著作はマハトマ・ガンジーにも影響を与え、二人は親しくなった[19]。 1910年英国史上初のヴィーガン向け料理本となるNo Animal Food: Two Essays and 100 Recipes(Rupert H. Wheldon著)が出版された[22] 。 歴史家(1944-1999) リア・レネンマンは1901年から1912年の間、協会の大多数が卵や乳製品に対する見解を同じくしていたとを記している。当時のある会員は「屠殺する分の雄鶏数羽いなければ卵は手に入りません」と見解を述べている[23]。 結局協会内で解決策が見いだされることはなかったが、1923年に「動物製品を避けるという姿勢は理想的なベジタリアンの姿勢である」という内容の記事が掲載された[24]

1931年11月にロンドンでベジタリアン協会の会合にソルトを含む約500人が参加し、マハトマ・ガンジーが "The Moral Basis of Vegetarianism"という題で、人類の健康を守るほかにも、倫理的観念から菜食(肉のない食事)を勧めるのが、協会の使命であることを語った[25]ガンジーはロンドン留学当時のベジタリアンが食と病のことばかりを話題にしていたとし、次のように語った。

「健康上の理由から菜食を実践することは、一番ひどい方法です。病苦など、つまり単純に健康上の理由から菜食主義を実践する人はたいてい失敗することにわたしは気づきました。菜食主義を貫くには、倫理的な原理が必要なのです。」 [26]

ヴィーガンかつフェミだと、フェミニストは牛乳飲めるか問題にもまあ矛盾なく立ち向かえるのか?多分彼女はエシカルヴィーガンなので、動物実験してる化粧品ブランド(MACなど)を利用せずLUSHのスキンケアばかり使っている。そういえば棚にはちみつじゃなくてメープルシロップがあったからん?と思ったのを思い出した。あれもそうだったのか。

願うなら

最近は私の苦手な人にその人が一番嫌な将来が待っていることを祈るっていうことで自我を保っていたんだけど、せっかくのお願いを他人より自分にいいことがありますようにって使った方がいいよ、もし願いが3つしか叶わなかったらどうするの?と言われたので、今後そうすることにします… 苦手な人に何があっても関係ないじゃんと言われて、確かにね、大人になります、、

 

なんでそうやって考えられなかったんだろう、やっぱりだめだ、、私が精神年齢が低いから、、となりそう、で、そうじゃダメだよーと思おうとしている今。成長してよかったと捉えたいのに、期待値が高すぎるんやろなあ。

 

苦手な人が多いの、普通に損やと思うからたまに、嫌なことがあっても良いところを見つけようとするから嫌いな人少ないって人の真似しようとするんだけど、そうしても嫌だった体験が消えるわけではなくて、結局赦しの気持ちが足りず己を憎み他者を憎み終わるみたいな、解脱してえ…

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この後ツイッター上で思考が無限後退の否定しだして、頭を叩き割るしかないみたいな結論に至り、泣きながら2時に寝たところ、戦時中のベルギーで差別と被差別の間で日和見しながら逃げてたら最終的に被差別側になって切り捨てられる悪夢を見て3時に起き、その後また寝たら精神的な未熟さを周囲に批判され担任にも何をやっても批判され学校内の居場所がなくなる悪夢を見て泣きながら目覚め授業に遅れた。やっぱりよくなくてそれならブログをわーって書いたほうがいいわ。思考がツイッターで整理できるわけはないので、、、

 

 

 

傾向と対策

HSPの傾向もあるし強迫性皮膚摘み取り症の傾向もあるかなあと思った。傾向があるだけで症というほどひどくないけど。それでツイッター調べたら中学校の時の先輩のツイートが出てきてびっくりした。完全に症だったし、OCDだったらしいし、またそれとは別にリベラル思想が強めの人になっててびっくりした。そんなように私もこんなにジメジメしてしまってびっくりされるんだろうか。

 

世の中に苦手な人の方が多いそんな自分が苦手である。

ここにきている日本人とのイライラの会話を記録します。なんども脳内再生されて恨みが深まっていく、、

「生きるの向いてないと思う」

「生きるのに向いてるとかあるの?w」

「将来のこと考えると生きるのやめるしかないってなる」

「それは憂鬱だけど、映画見てる時とかは楽しいし、死にたいと思ったことはないかな〜」

「映画見るのは一瞬だけど将来への不安は一生続く」

「どうして麻薬とか使うんだろうね、その気持ちがわかんない」

「どうしても気持ちが向かない時とか落ち込んじゃう時に、もっとパフォーマンス出したいと思ったら、頼っちゃう気持ちもわかるよ」

「えーそんなの思ったことないなー笑」

「最近水道水の味がダメになってきた、沸かしてお茶作っても微妙。もうジュースしか飲めないかも」

「私硬水嫌いだからいつも軟水買ってるよ、ペットボトル買えば」

「そんな生活は嫌だ!」

「ジュースだけの生活の方が嫌だわ」

「私はいけるんだよねーあはは」

 

などのここ一ヶ月間のイライラした会話を思い出すと、だいたい暗いことを言ってるのが私で、あははで笑って終わらせているのが相手。笑って終わらせられるのが疎ましい。考えたことがないのが羨ましい。客観的に見て全部私が残念だからまたイライラする関わりたくない。ブロックしたい。日本人三人しかいないから関わるしかない。現実の人間関係が得意じゃなくてネットで彼氏を作ったような人間なので相手との関係性を薄めることができないって状況にあんまり慣れてない。きつい。

最後の会話は私が血糖値を気にしてジュースを控えていることとかも背景にある

いちいちぐさっとくるので、一緒に行動したくないけど、自己主張が超強いとかよりはまあましだし、友達がみんな一学期で帰国してしまって友達がいないから、また彼女と旅行することになった。男だったら一人旅でもまだ大丈夫なのになあ。一人で旅行したいよ。どこにも行けないのとちょっと嫌な思いをずっとすることを天秤にかけたら後者。

 

否定

たまにいろんなことが割り切れて鈍感な人に出会う。それだけならいいのだけど私が神経質なので気が立ってしまうことがある。イライラする。世界のマジョリティは鈍感な人たちである。神経質とかいいながら私も視野が狭いから、特定の部分以外では他人に迷惑をかけまくって生きている。自己中心的だ。それでもイライラする。割り切れない。そんな時は相手の将来がゆっくりと全否定されることを願ってしまう。のんきに、なんでも笑って許せてしまえて、人当たりも良くて。やっかみである。あの人が将来、社会的に失敗しますように。大きな権力に否定されて、折れて、無力感を感じる体験をしますように。笑っているだけじゃ済まないどん底まで落とされますように。私は弱いからそうやって考えることしかできない。きっと私もどこかでそう思われている。

 

お前たちが道を歩いているだけで不快に感じる人もいることを忘れるな。みたいなことを先輩が言っていた。

芸術を学ぼうと思ったのは一人になってからだった

芸術を学ぼうと思ったのは一人になってからだった。

 

当初専攻しようと思っていた言語学のつまらなさに気づき、進路を考えあぐねて一年。学生団体に時間を費やした一年。が過ぎて二年。団体は引退して、授業も少ない。自動車学校に通う以外特に何もせず、日々自己嫌悪に時間を溶かしていた。

上京したての頃は、観光客マインドでいろんな美術館に足を運んでいた。東京には美術館がたくさんあるから。そうそうしているうちに美術館に行くのが趣味ですってくらいの頻度で行くようになった。月2くらい。だんだん観光客から住民になれたから頻度は減ったけど。

 

六本木クロッシング2016を訪れたのは6月だったか。現代アートは思考の余地を与えてくれるのがで好きだ、だなんて一時期思考がコンプレックスにだった人間が言うか?と言う感じだけど、引っ掛かりがわかりやすく存在する作品が多くて楽しい。純粋に誰もが見て美しいと思うルネサンスの絵画は、誰が見ても美しくて、そこに自分の介入する余地が残されていないように思う。美しさが作品の価値ではないと言う時代から美術史は面白くなると思う。*1

特に日本の若手アーティストだけを集めているこの展覧会は、一般人にもこの人いいなーと発掘する(それに出ているだけですでに有名なんだけど)機会を与えているようで、新たな出会いがあるような気がして、良いと思う。

 

四時間くらいかけて巡った森美術館で、今でも一番好きだと思う作品がある。写真のような正確さで描かれた油彩には、ほんの少しの傷がある。都市に住まう女性にインタビューして得られた、彼女たちの「生活の傷」を描いた作品には、詩のような思わせぶりな題名がつけられている。

それを見た時の感情は、共感だろうか。私(たち)のための芸術であると思った。非言語だから、言葉でうまく考えられないコンプレックスをたやすく超えてくる。あー、嬉しかったなあ。じんわり泣きそうだった。うまく説明できないのだけどとりあえずで言葉にすると都市に住む女性の孤独をうまく書きだしていて、それが響いたと言うことになる。

 

 

この後しばらく芸術へのモチベが一番高まっていたと思う。ガレ展に赴いてガレに出会い、アール・ヌーヴォーを知ったのもこの後くらいだった。(これはカタログまでよかった、サントリー美、カフェもいい)なんだかんだで美術館に通い続け、絵に詳しくも、熱がとてもとてもあるわけではないけど、飽きることはないだろうと思って、そっちの道に進むことにした。私は全体感がなくて、将来設計が苦手で、こういう出会いでしか進むことができない。

 

なんでこんなことを書いたかと言うと奨学金の関係でボランティアをせねばならず一つに断られもう一つをやっと見つけて、応募理由を考え直さないといけないから。最初の施設は留学の志望動機を少し変えたものを出したのだけど、今回の施設はメンタルヘルスのチャリティー財団が運営しているようで、そう言う経験をした人を特に歓迎ということで、じゃあ今まで応募理由に書いてこなかったことを書こうと思って、モチベの前の段落まで整理し直そうと思った。こういう類のものは、書いているうちに、話しているうちに、だんだんコンパクトに話しやすいようになっていく傾向がある。志望理由でも馴れ初めでも。まあだからどうということではないけど。

英語にしなきゃ…。

 

イギリスに来てからも色々なストレス発散方法を試す中で絵を書くというのは自分でもやってみているから、アートセラピーをやっている団体で働けるならそれは合っていると思う。言葉より早く、変換を最小限にして直感的に表現できるのが良いところだと思う。私が本格的に絵をやっていないからだと思うけど。

 

 

奨学金の面接の時、最後の質問で「あなたの留学計画が他の人と比べてユニークな点はなんですか」と聞かれた。そんな対策はしていなかったから、慌てて、ここは学生らしい熱意を見せるのがポイント稼ぎに大事だと思い「芸術が好きだという本心から出ているものなので上っ面でなくて熱意は誰にも負けません」みたいなことをしゃあしゃあと述べた。芸術への熱意なんてそんなにないし、だから日本の文化を盛り上げようなんて一ミリも思ったことないよ。でも志望動機が、アートとのの馴れ初めがある程度本心から語れるエピソードでよかったなとは今思った。

 

*1:かといって、好きな作家は、と聞かれると、特に環境を大事にしてないのにオラファーエリアソンを綺麗だからと言う理由で挙げたりするけど、、、しかもアール・ヌーヴォー好きだし、ガレの作品は美しいし

爪爪爪

マキシマムザホルモンで唯一知っている曲です。

 

爪を一年ぶりくらいに塗った。塗りながらいつが乾いたタイミングかわからず寝れずに3時になった。表面が乾いたからと寝て翌朝ヨレていたことがトラウマだ。見ようとしてみていないアニメを見ながら、思ったほどでも面白くもないなと思いながら、この爪に色を塗りテンションを上げる行為に週に3時間程度かけることは果たしてコスパが悪いのではないかと考え出してしまう。私がほとんどネイルをしたことがないからこんなにかかっているんだろうけど。

 

こちらでは除光液以外にも除光液が染み込んだコットンが売っているのでそれを使う。除光液のシンナー臭さはないがそれを無理やり打ち消したような甘ったるいアーモンドの匂いが指先から漂ってイライラする。眠気と相まって頭痛を催す匂いだ。

 

爪への執着が幼い頃から強かった。爪が伸びる。白いところが伸びる。伸びてくると剥がしたくなる。一指剥す。他の爪の白い部分が長いのがどうしても気になる。全部剥ぐ。たまにミスってピンクのところまで剥いで深爪になる。昔母によく怒られた。私は綺麗な手をしているのに深爪だから勿体無いらしい。同時にその爪への執着を良い方向に生かせればネイリストの資格でも取れるんじゃないかと言っていた。そしてやればできると信じていた。でも大学生になって時間ができても全然やるようにならなかった。高校生までの習慣づけは恐ろしく、私は長い空き時間の使い方を知らない。小学校高学年から、時間の使い方は勉強中心に回ってきた。空き時間というのは隙間の時間。隙間の時間にニコ動でボカロ聞くくらいしかしてなかった。長時間部屋で映画を見ること、アニメを見ること、そうした時間の使い方に慣れていないから、抵抗がある。本来隙間の時間を潰すために使われるようなSNSをずっとみて結局一番勿体無い時間の使い方をする。

 

暇は悪。この世に暇が存在するはずがない。「あー暇だな」という言葉を発することに罪悪感を感じる。たとえ実際に暇だったとしても。だって世の中には絶対にやらないといけないことがあるから。それが嫌で私はズルズルと嫌いなことを先延ばしにして行動しているけど。今だって全ての課題を終えても、ボランティア先を探すっていう大仕事が残っているし。多分就職について調べ出さないといけないし。この世にやらねばならぬとされていることがなくなるなんてことはないのだ。今でこそ自己成長欲求が失われている私に、外部からの成長の圧力がなくなって、やらねばならぬことが本当に消えたなら、何をするのだろう。

 

そろそろ爪が乾いたか。でも私は人工のアーモンドの匂いが充満したまま白い布団に入りたくない。嗅覚が敏感でよかったこと、今まであるだろうか。あまりない気がする。

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