帰英

心配していた体調は薬を定期的に飲んでいたからか予想よりはるかに軽く、旅行を遂行することができた。それよりも人と長期で旅行することが初めて(海外プログラムとはまた違う)だったから、そちらの精神的ストレスの方が大きかった。

基本的に一緒に行動していた子は、鈍感を具現化したような子で、私はその鈍感さが羨ましく同時にいらだたしかった。特に行きたいところもないから、ということで、資本主義の申し子である私がtouristyにぽんぽん目的地をあげ、全ての場所を調べ、全ての交通機関を調べ、それを繰り返し、疲れた。彼女はwifiを持っていないし(SIMロックが解除できず留学中もずっとフリーwifiに頼っている)、行きたいところを並べた私が全てを調べるのは仕方がないことなのだけど。それにしても当然のように「次はどこだっけ」と聞かれると堪えてくる。彼女は何か悪いことが怒っても笑って流す癖があった。正直そのあっけらかんとした精神力は(本人は精神力とも認識していないだろうけれど)尊敬する。が、その笑いが心に余裕がないときは苛だたしい。「次の場所の行き方調べるの忘れてた」「あはは」調べるのは私なんだぞ…。道中ストレスが常にたまっていた。彼女は悪くなくて、自分の心の余裕がないせいだとわかっているので尚更どうにもできず、集団生活がやっぱり向いていない…などと自己嫌悪に陥る時もあったが、帰ってきて落ち着いた。

 

これは他者に求めすぎるから生じるストレスなのだろうか。私は利己的に人付き合いをする傾向がある気がする。これをしてもらったからあれをする、あれをしたからこれをしてもらう。利益を求めているように思う。資本主義だ。同時期にキリスト教の友達が、「見返りを求めない優しさは小さい時にキリスト教を叩き込まれた人だけが持ってると思ってる」といって、ああ隣人愛という関係性のあり方も存在するのかとびっくりした。これが宗教か。フラストレーション溜めずに、見返りのない優しさを人にかけられたら。と思った。

 

電車に乗りながら、移動中、自分達について話すという遅れてやってきた青春の一コマのようなものがあったのだけど、彼女いわく私はのんびり行動しているように見えるらしい。高校時代「ゆっくリスト」と言われたまんまだ。しかし心の中は実際全然余裕なんてないことがほとんどなので、悲しかった。確かに朝の準備、人より遅い方だし…と考えて、考えて、あれ、結構行動する前に考えているのか?と思った。効率よく行動するために考えて結果行動が遅くなっているのだろうか。

 

私の母は勉強しなさいとガミガミ怒るタイプではなかったけれど、時間を無駄にすると怒った。ゲーム、ネット、アニメ、そういったものに時間を浪費すると怒った。だから私はポケモンスマブラもモンハンもしたことがない。ネットは隠れてツイッターしていたけど…。その時間を無駄にしないということが、刻まれていたりするのか。

 

例えば電車に乗るとき、彼女は遅れることに罪悪感を感じるので、絶対に余裕を持って家を出るという。そして準備も早い。一方で私はぴったりにつきたいと思う。ホームについて2分でも電車を待つと、この2分で洗濯物があと一着たためたのではないか?と思う。そうしてギリギリに家を出て待ち合わせに遅れがち。どれだけ朝早く起きても、遅刻ギリギリになってしまう。そしてきっとこの遅刻ギリギリさが、他人にはのんびりに映るのだと思う。

 

電車の中で化粧をするのはマナー違反だ、五分でも早く起きて家でしてこい、それくらいできるだろうという人と、できない人の、差は実はこういうところにあるのかもしれない。