春なので
日差しが強くて気分が良い。
やっぱ冬場の鬱は日差しの少なさと関係があるのか?
20すぎて外的要因に弱くなってきているので断定はできないが。
少し前から気になってチェックしているアーティストさん。
言葉を介しないコミュニケーションとしてのアート、という捉え方は私がアートに惹かれる要因でもあるのでこの記事を読んでこれからもチェックしていこうと思った。
とても素敵なインタビュー記事だ。
長谷川祐子も批評してたけどミクロからマクロへの問いかけとか、視点を移動した問いかけができるっていうのもアートの一つの意義なのでそういうのを優等生的に満たした上でコンセプトが面白く美しいのはこれからもっと伸びていくんだろうな。森美とかでそのうち展示ありそう。
静謐で見た目としても美しく、コンセプトがしっかりしている作品が好きだ。
ミニマリズムが好きかといわれると物欲に溢れているので別に好きでもないけど、余分に生活の楽しさがあると思っているけど、白背景に作品をポンと置いた時に余白が美しくあるようなものがいい。ホワイトキューブにもいいところはある。
コンセプトがしっかりしててもごちゃごちゃしてるのはげっそりする、、げっそりするあり方での表現なのだろうけどしんどい。greyson perryとか
日差しも良いので気分良くこういう周辺をチェックしていたらアートライターさんのアカウントを発見して、経歴を見て、そんな良い人生あるかと思った。原田マハの経歴見たときも同じことを思った。
私はそこまで強烈に違和感を覚えても表現して発信しようと思うことがないので一次的な作り手にはなれないなあと思っている。そうなると写真や映像媒体あるいは言葉での伝達ということになって来るんだろうけど、主要なものは言葉だよね
アートライターってとっても素敵だけどそのバックグラウンドがしっかりしてないと全然解説できないし、フリーランスだから厳しいし。何かを解釈して書くだけの力は私にはないし、解釈のエビデンスを学ぶまで熱心でもなく、やっぱり作品を見て終わりを続けていくんだろうなあ
「取り憑かれたように展示を見ている」ってライターさんが書いていた。たまにやるけど、私は自分の中にaccumulateしていくだけだ。
まあ、そういう感じで、消費する側としてだけアートを見ていてそれなりに見ていて好きっている人がマジョリティだろうし、あんまり自分を責めることもないよと言い聞かせている。
芸術に取り組もうと思うと批評はつきものだけど、別に批評まではしたくなくて。AMSEAのESも見たけど、なんだかなあ。
大学に入って言葉に対して苦手意識を持ったから。詩の言葉は昔から好きだった。それぞれの意味で使われることをガチガチに定義しようとしないし。アートに対してがっちり定義する哲学で臨む分野に来ちゃったことは多分間違いだったね。そうして何のバックボーンも建てられないまま卒業していくんだ。あなたは何を学んだのって最高学府に来ても何もいえないまま4年間を消費するんだ。そんなこと考えてる人がどれくらいいるのかは知らんが引け目には思う。フィンランドのようにふわっと専攻変えて行けたらいいのに。日本でもできるけどしんどいのでしません。情報学環にでも行こうかな
アウトプットが苦手だ
なんだかいろんなことをできないなあで諦めていっている
何かを起こすにも、私責任感ないし、逃げてる
諦めの一つの乗り越えとして帰国したらカメラ買おうかなあ
留学期間中に目で見て撮ってもiphoneじゃ限界があるなと思うことが多かった。とはいえ留学前にカメラのことを考える余裕があったか?といわれるとノーなので。別にアート分野に従事するわけではないけど、アートや建築に関わる人、やっぱカメラ持ってる率が高いから、小さいの持っててもいいかな
持ち運びがめんどいというのがデカいんだけど、一眼とか買うわけではないし、カメラ女子にオススメ〜みたいに書いてあるのを買うんやわ。
あとどうせ買っても使いこなせないわってだらだら先延ばしにしてたの、アンドロイドからiphoneとか、windowsからmacに変えた時と同じ感覚で、結局買えてよかったと思っているので、、
写真論だと意図したものが撮れないのが写真、とかあるけど、まあ見たものをそのまま瞬きでシャッター切るように切り取れたら一番身体的で自分の欲しいデバイスとしてはそうだな
明暗や水面やガラス越しが撮れると良い
まあ渡辺直美がカメラ持ち歩いてるの見て思いを強くしたんだけどね。なんじゃそりゃ。
あとはオタ活するときもあると便利だね。ショーとか。