人生の夏休み中級編

今は人生の夏休み中級編を生きている。

 

留学の勉強がそんなに大変じゃなかったから人生の夏休み。時間に余裕があるから自炊したりジム行ったり。今まで見れなかったアニメ見たり(今シーズン4作視聴中+幾原作品/ピンドラ→ユリ熊)でも第一言語圏外にいるから中級編ではあると思う。

 

日本で閉塞感に押しつぶされそうな人や毎日水中でもがくように水上に顔を出せない人たちにとってもっと留学が身近なものになればいいと思う。選択肢の一つとして。私でも来れたし。言語やお金の壁がでかいんだろうなとは思うけど。

留学に限らず日本を一旦出てみるってことがそんなにちやほやされることじゃなくなればいいよ。それで変わる人は変わるし私みたいにどこでもダメだと思う人もいるだろうけど前者だって少なくはないはずだ

 

よく聞かれるのが「日本早く帰りたい?」「イギリスとどっちが好き?」ってことで、どっちもどっちだと思う。留学してわかったのは、私はどこで生きていてもある程度生きづらいと思いながら生活するってことだ。日本の文化は大好きだ。でもあのたまに見せる閉塞感にはあっさりと押しつぶされる。それでも前提として私は日本人だからまだマジョリティに属すことができる安心感がある。例え世界基準で痩せすぎと言われても私の可愛いの基準は日本だ。

 

ただ日本に帰って、大学に通いだして、私はまた普通に大学通えるかな?就活できるかな?って言うのは正直不安だ。でもイギリスの雨もご飯も発話が多いコミュニケーションも私のものになりきってない。belong to meしていない感覚。これは私の根底に「どうせ一年で帰るし」って言うのがあるからだろうね。よくないね^^:

特に望郷の念がなくても日本文化圏のものを見つけると嬉しくなっちゃう。

 

日本を日本を知らない人に説明するとしたら「良くも悪くも細かい」って言う。細かいにうまく対する英語がないから、detailed/care about small thingsって複数の語で隙間を埋めていく感じで言葉を並べることになると思う。

細かい。食事の味からサービスから会社の規則から電車のダイヤまで。季節の移り変わりまで。人間関係も。微妙の間を生きている。

イギリスはもっと雑だ。料理も電車も店も。

別の人は「なんでも揃う場所」って言ってた。古いものも新しいものも、ニーズに応えるものが揃っているのが日本だ。またここのニーズに対しての商品がいちいちあるところが細かい。外国だとぶん投げなきがする。

例えばゲージがあって

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みたいな感じ。

 

帰ったら留学を経験したことが自己肯定に生かされるかな?

留学がもっと一般的になって欲しい(「すごい」の言葉はいらない)と思いつつも、私の中ではまだ一般的じゃない。と思ってる。

前も言ったけど、私はこの選択をずっと「積極的な逃げ」だと思ってた。私の行動はづべて逃げだ。留学に行く人も、大学にはたくさんいたから。その中で私は頑張ってない留学生だから。

今「宇宙よりも遠い場所」(略称よりもい)って言うアニメを見てる。このアニメは女子高生4人組が南極に行くお話なんだけど、南極に向かう船の中で、いろいろ大変なことがあって、大丈夫かなあみたいな雰囲気になる話がある。(8話)

そこである登場人物が

「頑張るしかないでしょ、来ちゃったんだから」と言うと、主人公が

「違うよ、自分たちで選んできたんだよ」と言うニュアンスのことを言ってた。

よりもいの主人公は「ここではない、どこかへ」行きたかった高校生。私からすると「否定でしか説明できない事柄」(哲学で、その項目を説明するのに否定でしか説明できない事柄のことをなんか言い方あった気がするんだけど…)現状からの脱却として物理的な距離を取るしかないって方へ行動を進めてるように見えてた。「ここではない、どこかへ」のコンセプトだけ取り出すとなんか共感できたので感情移入して見てた。

だから「選んで来た」にはハッとした。

私逃げて来たと思ってたけど、よく考えたら、まあそれなりに頑張って来たよなと。

奨学金も一番多い金額もらえるのに通ったし。

だから帰ったらこの経験が、中身を他の留学生と比較してしまうとまた死んじゃうけど、「留学した」って字面が自分の底に溜まって少しだけ自信のゲージが上がればと思った。 私は自信もゲージで捉えてます。

 

今は自分が空っぽに思える。

卑屈になってるんじゃなくて、本当に何もできない気がする。

まあ正しく言うと、仕事の話になって、「本当に何もできない気がするんです」って言ったら素で「何もできない人間なんていないでしょ」と返されたわけなので、

自分が割と得意な傾向にあることが社会から求められていることだと思わない、この社会で自分が価値ある人間だとあまり思えない、ってことだと思う。評価軸に沿わない。

 社会って何?と言われると言葉に詰まってしまうけど、大学でも、企業でも。

だから私は無償の愛を受けて育っても、存在を肯定する相手がいても、息がしづらい。