悪くない、という救い

鈍感な人に囲まれていると、ん、と思うポイントがたくさんある。私はいつもそのポイントで自滅して、私が過敏なせいだ、気にしすぎるからだ、どうして、私はあの人たちみたいに図太くなれないんだろうと思っていた。

これを人に話すと、①考えすぎだよ〜あはは②だよねーやだよねー で①では追い討ちをかけられ②では救いが無くなってしまうのがだいたい。で、この前母に言われたのが

「気づいちゃったら、あ、私は気づいたな、でいいんだよ」ってことだった。

気づくのは悪いことじゃないんだよ、だから私は今気づいたなということを受け入れればいいみたい。受け入れるっていうのが今まで腑に落ちてなかったんだけどすんと落ちた。

精神科の治療をする上で、「感じちゃいけない感情なんてない」っていうのが大前提としてあるらしい。私は卑屈だから、「どうしてそんなことを言ってあの子はのうのうと生活してるんだろう」っていう感情をよく抱くけど、これに対して別に感じてもいいじゃん!って開き直ることがその在り方なのか?と思っていた。でももっと落ち着いているものみたい。悟りの境地というか。「あの子に対してすごく嫌だと思っているな」という、ある種の客観性。大前提がようやく理解できた。

このマイナス感情をそもそも抱かない人と、抱いた上でそれを処理できる人。私が接してダメだと思いがちなのは前者。無意識のうちにできる人たち。でも意識してしかできないなら、プロセスを踏むしかない。私は後者の方が好きだし、無理して自分を殺してなれない前者になろうとするくらいなら、広い人の気持ちがわかる後者になりたいよ。

 

本当は続きを読む以降が前半で、ここから書き出したんだけど、書きたかったことの要点が後半部分だったので、順番を入れ変えた。 

 

前回と対になっちゃった(タイトル)

普段あんまり課題が出ないのであんまり勉強してないんだけど、勉強しよ〜と思って机に向かったらこのいろんなことがぽわ〜んと頭に浮かぶの、なんなんだろうな。

 

私は母と仲がいい。というかうちの家族は仲がいいと思う。みんな友達少ないからかな?(父には本当に友達がいないと思う、友達と出かけているところを見たことがない)誰とならなんでも話せる?と言われたら、母と、彼氏と、もう1人友達の3人程度かな〜って感じなんだけど。(あとは気兼ねがあるということ?)でも東京にいる間は鬱になるまで母とあんまり通話とかもしてなかったので、これはその恩恵かもしれない。

イギリスに来てから友達もそんなにいないし、日本語のスピード感で話したいので、母と毎日のように通話している。21にもなって親離れ子離れができてないの、ヤバイな…と思いつつ、日本に帰ったら今より絶対忙しくてそんなこともできないんじゃないかと思うのでまあいいことにしている。

 

なかなか、自分が今落ち込んでいるとか、口に出すとすぐに泣くので、テキストベースで書き込めても通話では言いにくいんだけど、母はどうしたってネガティブな私をうまいことポジティブに行かせようという言葉をかけてくれる。母は私が泣いているととっても辛いらしい。鬱の時に来たラインは今でもスクショして保存している、見ると記憶が解凍されたみたいに涙が出てくる。母は「お母さんは親バカなので、姉妹がとっても可愛いよー いつもニコニコしていてくれるとお母さんも嬉しいよー」という。

 

私は昔からマイナスのエネルギーは強かったけど、それを比較的得意な分野への努力へ昇華して自分の価値を肯定していた。でも大学に入って自分で自分を肯定する力が弱まってしまったので、何かあると自分を絶対的に肯定することができる人にすがるしかない。それが冒頭の三人なんだと思う。中でも母はやっぱり親なので、私は幸運にもきちんとした家庭で育ったので、生まれてから今まで常に存在を肯定してくれているという前提があって頼りたくなるのかもしれない。