願うなら

最近は私の苦手な人にその人が一番嫌な将来が待っていることを祈るっていうことで自我を保っていたんだけど、せっかくのお願いを他人より自分にいいことがありますようにって使った方がいいよ、もし願いが3つしか叶わなかったらどうするの?と言われたので、今後そうすることにします… 苦手な人に何があっても関係ないじゃんと言われて、確かにね、大人になります、、

 

なんでそうやって考えられなかったんだろう、やっぱりだめだ、、私が精神年齢が低いから、、となりそう、で、そうじゃダメだよーと思おうとしている今。成長してよかったと捉えたいのに、期待値が高すぎるんやろなあ。

 

苦手な人が多いの、普通に損やと思うからたまに、嫌なことがあっても良いところを見つけようとするから嫌いな人少ないって人の真似しようとするんだけど、そうしても嫌だった体験が消えるわけではなくて、結局赦しの気持ちが足りず己を憎み他者を憎み終わるみたいな、解脱してえ…

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この後ツイッター上で思考が無限後退の否定しだして、頭を叩き割るしかないみたいな結論に至り、泣きながら2時に寝たところ、戦時中のベルギーで差別と被差別の間で日和見しながら逃げてたら最終的に被差別側になって切り捨てられる悪夢を見て3時に起き、その後また寝たら精神的な未熟さを周囲に批判され担任にも何をやっても批判され学校内の居場所がなくなる悪夢を見て泣きながら目覚め授業に遅れた。やっぱりよくなくてそれならブログをわーって書いたほうがいいわ。思考がツイッターで整理できるわけはないので、、、