遠近感

勢いのある文をばーっと、記録用に書くときはpc、そうでないときはスマホが適しているのかもしれない。そのうちフォルダ分けしよう。

 

俯瞰が苦手なことと身体的に遠近感が弱いことは関係しているのだろうか。球技が苦手。ボールと自分の距離がわからない。バレーボールとか、どこにボールが落ちてくるかわからない。

模写が苦手。

何かを抽象的な概念をビジュアルで捉えることは得意な方かもしれない。現に考えが浮かぶときも言葉で明確に深められる時と第一段階はイメージで浮かぶ時両方がある。もやもやとした感覚を言葉にするのが難しくて、脳内イメージを転写できる技術があれば良いのにと思う。あれば画家にでもなってる。だからといって浮かんだものが全てうまく表現できるわけではない、あくまでぼんやりと捉える段階で、はじめに来るのがイメージであるというだけで、手を介して現前させようとするとなんか違うなというものができたりする。うまく行くときもあるけど。

浮かんで来るとはしても、現実のものを見た時、遠近感のなさ、バランスが取れないから、模写ができない。みたものをそのまま書くことが難しい。絵をきちんと習ったことがないから、訓練の問題なのかもしれないけれど。

 

私は視覚が強い。書道で、白黒や線への意識が強かったからだろうか?でも聴覚が強い人/音楽関係の人は音で考えるかもしれない。というか音が第一に浮かぶのかもしれない。そう言った人たちとコミュニケーションをとるにはやはり共通言語 言語を使うしかないのかなあ。でも言語は単一でないので母語でないと齟齬やノイズが大きくて、共通の 言語以外のツールがあるならその方が早いのになあと思う。でも自分にはそれを再現する技量がないのでなんとも言えない。そしてイメージは第一段階であることが多いからそれをさっと写し取ることが要求される。頭の中にチップ埋め込んで目の前にプロジェクトできれば意思疎通が楽になるのになあと思う。リテラシーがある人同士の間だけだけど。

 

例えば。この遠近感のなさは生きづらさにつながるのだろうか。素材はあるのにもったいないという言葉や、全体でなく細かいところに執着する、しかしムラのある執着の仕方。これらが、ちょっとずつ、合わない、齟齬を生んで、たまると身を引いてしまうのだろうか。社会からのwithdrawalという感じ?

 

 

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 画像は就活のイメージで、どうにもこうにも不安が募ったので発散した。近所の美術館で子供向けに配っていたピカソ展示関連の紙がなんとなく関連していたので切って貼り付けた。

昨日の夜ベッドでイメージメモして、残念ながらデジタルで描けないので、仕方なく蛍光ペンやシャーペンで描いたけど、絵の具とか買ったほうがQOLが上がるのかな。

ありきたりなイメージだけど、彩、というか。いろんな色が灰色になってドロドロ/ほろほろさらさら(これはどっちだろう。社会の中で死んでいくならドロドロだけど、綺麗に砂みたいになる気もする)消えていく感じが、あまりにも強くて、不安で寝つきが悪かったので。

本当は絵の具があったら。オレンジや緑やいろんな明るい色で筆致が残るように荒く、盛り上がりが残るようにたっぷり絵の具をつけて、丸を描く。人が丸なんてありきたりだけどまあ丸だと思う。いろんな大きさの丸を描きたい。せめてもの多様性と綺麗に見えると思いたい。(描いてるうちにやっぱり構造的に綺麗に見えるように修正はしてしまう、そこまで明瞭なイメージじゃないから、うまく表現できない、頭の中のモヤモヤとしたイメージだから)ガサガサの黒を塗り籠めたい。ガサガサで明暗感を出したい。もしカンバスなら下塗りしたくない。紙じゃない気がする。布っぽい感触。

 

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iphoneのメモに手書き機能があったことに感謝したい…

 

なんとなく発散したら今日は眠れる気がする。おやすみなさい。

 

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