勉強の哲学でも読むか

読まないフラグだろう。千葉雅也、今度サイン会あるらしいけど。

 

自分の中ではかなりしっかりと準備をしなければならない発表を終えた。また明日レポートとテストが待っているが大変なものではないので、何とかなるだろう。

 

発表のためにはレジュメを作る必要があるが、私は本当にprocrastinatorなので(やめたい)発表一週間前になってようやく準備をはじめ、文系よろしく切れる授業は全部切って使える時間を全部突っ込んでレジュメを作るという本末転倒な学生生活を送った。一週間だけど。

大学に入ってからというものの学問、をしていない。テスト勉強や受験勉強はある程度対策する箇所が解るし、やったことが点数で評価されるから割と得意だ。学問、研究とでもいうのだろうか。つくづく楽しくないと思ってしまう。大学に入って、国の金でこの環境が整っているのに、もっと勉強しろよとも思うが、自分にとって大学に入って、学問が向いていないということがわかっただけでも良かったのではないかと思っている。そう思わないとやってられない。(もちろん学問以外の面ではたくさん学ぶことがあり上京して大学に入りとても良かったとは思っている)適性がわかっただけでもよかったではないか。私が楽しかった(?)のはやればやるほど正解できる受験勉強で会って、学問とは違うのだ。後期課程に入ってからひしひしと感じている。コレクション型、そうだと思う。一般教養の講義を重ねて知識を増やす方が好きだ。それに対して考察しようとか、突っ込みを入れようとか、あんまり思えない。そこまで強い何か信念を持つような性格でもないし。私は、知ることがゴールで、いい。

レジュメを作りながら人文系の研究の時間のかかり具合を改めて実感し、理系もそうだから研究費が大変なんだろうなとガチガチの文系の私はやっと思いをはせることができた。でもこんなに時間がかかるもの、私はやってられないと思った。せめてもう少し短くないとモチベーションが持たない。

 

テレビに出ている東大生は、「勉強しかしてこなかったんで~」と自らのコミュ障ぶりやダサさに対して言い訳していることが多い。今までの私は、自分が中高大と受験を繰り返して基本的に勉強をたくさんして大学に入ったので、そればかりしていたせいで女の子らしくヘアアレンジができないとか、そういう意味で彼らにとても共感していた。高校の時友達に休日何してる?と聞いたらYouTubeで編み込みの動画見て練習してた~って返事されて本当に驚いた記憶がある。勉強しなくていいの?そんな時間の使い方があるの?と思った。あと数年前のドラマ見直してる、とか。今してるドラマを見るならわかるけど数年前のドラマ見直すか?そんな風に時間を使うことができるんだ、と。純粋に思った。私はその間基本的に塾にいた。

でも同時に、私はこれから勉強しかしてないなんてとても言えない。東大生、教養があってよいというプラスのイメージにもそぐえないと思う。

つまり、東大生に対する

-「ダサい、自分たちとは住む世界が違う、頭でっかちな人」

+「すごい、とても教養がある、強い学問分野(専攻)がある」

どちらのイメージにもそぐわないし、なんならダサい(服装は普通なのでおしゃれではないくらいで許してほしい。キラキラ女子大生の横に並ぶとそりゃダサいし髪とかはできないけど、、ダサいのか。)くらいしか当てはまらない。

ダブルバインドというか。使い方違うか?

どちらにしても大学の所属を肩書にして生きていくことはプレッシャーになる。

 

そういえば前、サークルで代表のポジションにいた時に、仕事を振りまくっていたし、そこまで自分の時間をサークルに割いていたわけでもなかったから、代表というのは自分からそこまで言わないようにしていた。「代表やってるんだよ~!」と友達に紹介されても、「いやいや…」という感じで濁していた。

けれど何かで見たけれど、例えば会社の部長とか、「長」のポジションについている人が、自分の肩書を自信を持って言えないのは、それは責任から逃れていることになるらしい。自分はそれにひどく納得した。代表の座を全うしようという気概がないのだと思う。それは大学の、+の方に対する抵抗感にも同じく当てはまると感じた。

 

レジュメ作成のために明治大正期の文章を読んでいたのでつられて「ひどく」とか文体が変になっている。

 

レポートを書きます。