願うなら

最近は私の苦手な人にその人が一番嫌な将来が待っていることを祈るっていうことで自我を保っていたんだけど、せっかくのお願いを他人より自分にいいことがありますようにって使った方がいいよ、もし願いが3つしか叶わなかったらどうするの?と言われたので、今後そうすることにします… 苦手な人に何があっても関係ないじゃんと言われて、確かにね、大人になります、、

 

なんでそうやって考えられなかったんだろう、やっぱりだめだ、、私が精神年齢が低いから、、となりそう、で、そうじゃダメだよーと思おうとしている今。成長してよかったと捉えたいのに、期待値が高すぎるんやろなあ。

 

苦手な人が多いの、普通に損やと思うからたまに、嫌なことがあっても良いところを見つけようとするから嫌いな人少ないって人の真似しようとするんだけど、そうしても嫌だった体験が消えるわけではなくて、結局赦しの気持ちが足りず己を憎み他者を憎み終わるみたいな、解脱してえ…

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この後ツイッター上で思考が無限後退の否定しだして、頭を叩き割るしかないみたいな結論に至り、泣きながら2時に寝たところ、戦時中のベルギーで差別と被差別の間で日和見しながら逃げてたら最終的に被差別側になって切り捨てられる悪夢を見て3時に起き、その後また寝たら精神的な未熟さを周囲に批判され担任にも何をやっても批判され学校内の居場所がなくなる悪夢を見て泣きながら目覚め授業に遅れた。やっぱりよくなくてそれならブログをわーって書いたほうがいいわ。思考がツイッターで整理できるわけはないので、、、

 

 

 

傾向と対策

HSPの傾向もあるし強迫性皮膚摘み取り症の傾向もあるかなあと思った。傾向があるだけで症というほどひどくないけど。それでツイッター調べたら中学校の時の先輩のツイートが出てきてびっくりした。完全に症だったし、OCDだったらしいし、またそれとは別にリベラル思想が強めの人になっててびっくりした。そんなように私もこんなにジメジメしてしまってびっくりされるんだろうか。

 

世の中に苦手な人の方が多いそんな自分が苦手である。

ここにきている日本人とのイライラの会話を記録します。なんども脳内再生されて恨みが深まっていく、、

「生きるの向いてないと思う」

「生きるのに向いてるとかあるの?w」

「将来のこと考えると生きるのやめるしかないってなる」

「それは憂鬱だけど、映画見てる時とかは楽しいし、死にたいと思ったことはないかな〜」

「映画見るのは一瞬だけど将来への不安は一生続く」

「どうして麻薬とか使うんだろうね、その気持ちがわかんない」

「どうしても気持ちが向かない時とか落ち込んじゃう時に、もっとパフォーマンス出したいと思ったら、頼っちゃう気持ちもわかるよ」

「えーそんなの思ったことないなー笑」

「最近水道水の味がダメになってきた、沸かしてお茶作っても微妙。もうジュースしか飲めないかも」

「私硬水嫌いだからいつも軟水買ってるよ、ペットボトル買えば」

「そんな生活は嫌だ!」

「ジュースだけの生活の方が嫌だわ」

「私はいけるんだよねーあはは」

 

などのここ一ヶ月間のイライラした会話を思い出すと、だいたい暗いことを言ってるのが私で、あははで笑って終わらせているのが相手。笑って終わらせられるのが疎ましい。考えたことがないのが羨ましい。客観的に見て全部私が残念だからまたイライラする関わりたくない。ブロックしたい。日本人三人しかいないから関わるしかない。現実の人間関係が得意じゃなくてネットで彼氏を作ったような人間なので相手との関係性を薄めることができないって状況にあんまり慣れてない。きつい。

最後の会話は私が血糖値を気にしてジュースを控えていることとかも背景にある

いちいちぐさっとくるので、一緒に行動したくないけど、自己主張が超強いとかよりはまあましだし、友達がみんな一学期で帰国してしまって友達がいないから、また彼女と旅行することになった。男だったら一人旅でもまだ大丈夫なのになあ。一人で旅行したいよ。どこにも行けないのとちょっと嫌な思いをずっとすることを天秤にかけたら後者。

 

否定

たまにいろんなことが割り切れて鈍感な人に出会う。それだけならいいのだけど私が神経質なので気が立ってしまうことがある。イライラする。世界のマジョリティは鈍感な人たちである。神経質とかいいながら私も視野が狭いから、特定の部分以外では他人に迷惑をかけまくって生きている。自己中心的だ。それでもイライラする。割り切れない。そんな時は相手の将来がゆっくりと全否定されることを願ってしまう。のんきに、なんでも笑って許せてしまえて、人当たりも良くて。やっかみである。あの人が将来、社会的に失敗しますように。大きな権力に否定されて、折れて、無力感を感じる体験をしますように。笑っているだけじゃ済まないどん底まで落とされますように。私は弱いからそうやって考えることしかできない。きっと私もどこかでそう思われている。

 

お前たちが道を歩いているだけで不快に感じる人もいることを忘れるな。みたいなことを先輩が言っていた。

芸術を学ぼうと思ったのは一人になってからだった

芸術を学ぼうと思ったのは一人になってからだった。

 

当初専攻しようと思っていた言語学のつまらなさに気づき、進路を考えあぐねて一年。学生団体に時間を費やした一年。が過ぎて二年。団体は引退して、授業も少ない。自動車学校に通う以外特に何もせず、日々自己嫌悪に時間を溶かしていた。

上京したての頃は、観光客マインドでいろんな美術館に足を運んでいた。東京には美術館がたくさんあるから。そうそうしているうちに美術館に行くのが趣味ですってくらいの頻度で行くようになった。月2くらい。だんだん観光客から住民になれたから頻度は減ったけど。

 

六本木クロッシング2016を訪れたのは6月だったか。現代アートは思考の余地を与えてくれるのがで好きだ、だなんて一時期思考がコンプレックスにだった人間が言うか?と言う感じだけど、引っ掛かりがわかりやすく存在する作品が多くて楽しい。純粋に誰もが見て美しいと思うルネサンスの絵画は、誰が見ても美しくて、そこに自分の介入する余地が残されていないように思う。美しさが作品の価値ではないと言う時代から美術史は面白くなると思う。*1

特に日本の若手アーティストだけを集めているこの展覧会は、一般人にもこの人いいなーと発掘する(それに出ているだけですでに有名なんだけど)機会を与えているようで、新たな出会いがあるような気がして、良いと思う。

 

四時間くらいかけて巡った森美術館で、今でも一番好きだと思う作品がある。写真のような正確さで描かれた油彩には、ほんの少しの傷がある。都市に住まう女性にインタビューして得られた、彼女たちの「生活の傷」を描いた作品には、詩のような思わせぶりな題名がつけられている。

それを見た時の感情は、共感だろうか。私(たち)のための芸術であると思った。非言語だから、言葉でうまく考えられないコンプレックスをたやすく超えてくる。あー、嬉しかったなあ。じんわり泣きそうだった。うまく説明できないのだけどとりあえずで言葉にすると都市に住む女性の孤独をうまく書きだしていて、それが響いたと言うことになる。

 

 

この後しばらく芸術へのモチベが一番高まっていたと思う。ガレ展に赴いてガレに出会い、アール・ヌーヴォーを知ったのもこの後くらいだった。(これはカタログまでよかった、サントリー美、カフェもいい)なんだかんだで美術館に通い続け、絵に詳しくも、熱がとてもとてもあるわけではないけど、飽きることはないだろうと思って、そっちの道に進むことにした。私は全体感がなくて、将来設計が苦手で、こういう出会いでしか進むことができない。

 

なんでこんなことを書いたかと言うと奨学金の関係でボランティアをせねばならず一つに断られもう一つをやっと見つけて、応募理由を考え直さないといけないから。最初の施設は留学の志望動機を少し変えたものを出したのだけど、今回の施設はメンタルヘルスのチャリティー財団が運営しているようで、そう言う経験をした人を特に歓迎ということで、じゃあ今まで応募理由に書いてこなかったことを書こうと思って、モチベの前の段落まで整理し直そうと思った。こういう類のものは、書いているうちに、話しているうちに、だんだんコンパクトに話しやすいようになっていく傾向がある。志望理由でも馴れ初めでも。まあだからどうということではないけど。

英語にしなきゃ…。

 

イギリスに来てからも色々なストレス発散方法を試す中で絵を書くというのは自分でもやってみているから、アートセラピーをやっている団体で働けるならそれは合っていると思う。言葉より早く、変換を最小限にして直感的に表現できるのが良いところだと思う。私が本格的に絵をやっていないからだと思うけど。

 

 

奨学金の面接の時、最後の質問で「あなたの留学計画が他の人と比べてユニークな点はなんですか」と聞かれた。そんな対策はしていなかったから、慌てて、ここは学生らしい熱意を見せるのがポイント稼ぎに大事だと思い「芸術が好きだという本心から出ているものなので上っ面でなくて熱意は誰にも負けません」みたいなことをしゃあしゃあと述べた。芸術への熱意なんてそんなにないし、だから日本の文化を盛り上げようなんて一ミリも思ったことないよ。でも志望動機が、アートとのの馴れ初めがある程度本心から語れるエピソードでよかったなとは今思った。

 

*1:かといって、好きな作家は、と聞かれると、特に環境を大事にしてないのにオラファーエリアソンを綺麗だからと言う理由で挙げたりするけど、、、しかもアール・ヌーヴォー好きだし、ガレの作品は美しいし

爪爪爪

マキシマムザホルモンで唯一知っている曲です。

 

爪を一年ぶりくらいに塗った。塗りながらいつが乾いたタイミングかわからず寝れずに3時になった。表面が乾いたからと寝て翌朝ヨレていたことがトラウマだ。見ようとしてみていないアニメを見ながら、思ったほどでも面白くもないなと思いながら、この爪に色を塗りテンションを上げる行為に週に3時間程度かけることは果たしてコスパが悪いのではないかと考え出してしまう。私がほとんどネイルをしたことがないからこんなにかかっているんだろうけど。

 

こちらでは除光液以外にも除光液が染み込んだコットンが売っているのでそれを使う。除光液のシンナー臭さはないがそれを無理やり打ち消したような甘ったるいアーモンドの匂いが指先から漂ってイライラする。眠気と相まって頭痛を催す匂いだ。

 

爪への執着が幼い頃から強かった。爪が伸びる。白いところが伸びる。伸びてくると剥がしたくなる。一指剥す。他の爪の白い部分が長いのがどうしても気になる。全部剥ぐ。たまにミスってピンクのところまで剥いで深爪になる。昔母によく怒られた。私は綺麗な手をしているのに深爪だから勿体無いらしい。同時にその爪への執着を良い方向に生かせればネイリストの資格でも取れるんじゃないかと言っていた。そしてやればできると信じていた。でも大学生になって時間ができても全然やるようにならなかった。高校生までの習慣づけは恐ろしく、私は長い空き時間の使い方を知らない。小学校高学年から、時間の使い方は勉強中心に回ってきた。空き時間というのは隙間の時間。隙間の時間にニコ動でボカロ聞くくらいしかしてなかった。長時間部屋で映画を見ること、アニメを見ること、そうした時間の使い方に慣れていないから、抵抗がある。本来隙間の時間を潰すために使われるようなSNSをずっとみて結局一番勿体無い時間の使い方をする。

 

暇は悪。この世に暇が存在するはずがない。「あー暇だな」という言葉を発することに罪悪感を感じる。たとえ実際に暇だったとしても。だって世の中には絶対にやらないといけないことがあるから。それが嫌で私はズルズルと嫌いなことを先延ばしにして行動しているけど。今だって全ての課題を終えても、ボランティア先を探すっていう大仕事が残っているし。多分就職について調べ出さないといけないし。この世にやらねばならぬとされていることがなくなるなんてことはないのだ。今でこそ自己成長欲求が失われている私に、外部からの成長の圧力がなくなって、やらねばならぬことが本当に消えたなら、何をするのだろう。

 

そろそろ爪が乾いたか。でも私は人工のアーモンドの匂いが充満したまま白い布団に入りたくない。嗅覚が敏感でよかったこと、今まであるだろうか。あまりない気がする。

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帰英

心配していた体調は薬を定期的に飲んでいたからか予想よりはるかに軽く、旅行を遂行することができた。それよりも人と長期で旅行することが初めて(海外プログラムとはまた違う)だったから、そちらの精神的ストレスの方が大きかった。

基本的に一緒に行動していた子は、鈍感を具現化したような子で、私はその鈍感さが羨ましく同時にいらだたしかった。特に行きたいところもないから、ということで、資本主義の申し子である私がtouristyにぽんぽん目的地をあげ、全ての場所を調べ、全ての交通機関を調べ、それを繰り返し、疲れた。彼女はwifiを持っていないし(SIMロックが解除できず留学中もずっとフリーwifiに頼っている)、行きたいところを並べた私が全てを調べるのは仕方がないことなのだけど。それにしても当然のように「次はどこだっけ」と聞かれると堪えてくる。彼女は何か悪いことが怒っても笑って流す癖があった。正直そのあっけらかんとした精神力は(本人は精神力とも認識していないだろうけれど)尊敬する。が、その笑いが心に余裕がないときは苛だたしい。「次の場所の行き方調べるの忘れてた」「あはは」調べるのは私なんだぞ…。道中ストレスが常にたまっていた。彼女は悪くなくて、自分の心の余裕がないせいだとわかっているので尚更どうにもできず、集団生活がやっぱり向いていない…などと自己嫌悪に陥る時もあったが、帰ってきて落ち着いた。

 

これは他者に求めすぎるから生じるストレスなのだろうか。私は利己的に人付き合いをする傾向がある気がする。これをしてもらったからあれをする、あれをしたからこれをしてもらう。利益を求めているように思う。資本主義だ。同時期にキリスト教の友達が、「見返りを求めない優しさは小さい時にキリスト教を叩き込まれた人だけが持ってると思ってる」といって、ああ隣人愛という関係性のあり方も存在するのかとびっくりした。これが宗教か。フラストレーション溜めずに、見返りのない優しさを人にかけられたら。と思った。

 

電車に乗りながら、移動中、自分達について話すという遅れてやってきた青春の一コマのようなものがあったのだけど、彼女いわく私はのんびり行動しているように見えるらしい。高校時代「ゆっくリスト」と言われたまんまだ。しかし心の中は実際全然余裕なんてないことがほとんどなので、悲しかった。確かに朝の準備、人より遅い方だし…と考えて、考えて、あれ、結構行動する前に考えているのか?と思った。効率よく行動するために考えて結果行動が遅くなっているのだろうか。

 

私の母は勉強しなさいとガミガミ怒るタイプではなかったけれど、時間を無駄にすると怒った。ゲーム、ネット、アニメ、そういったものに時間を浪費すると怒った。だから私はポケモンスマブラもモンハンもしたことがない。ネットは隠れてツイッターしていたけど…。その時間を無駄にしないということが、刻まれていたりするのか。

 

例えば電車に乗るとき、彼女は遅れることに罪悪感を感じるので、絶対に余裕を持って家を出るという。そして準備も早い。一方で私はぴったりにつきたいと思う。ホームについて2分でも電車を待つと、この2分で洗濯物があと一着たためたのではないか?と思う。そうしてギリギリに家を出て待ち合わせに遅れがち。どれだけ朝早く起きても、遅刻ギリギリになってしまう。そしてきっとこの遅刻ギリギリさが、他人にはのんびりに映るのだと思う。

 

電車の中で化粧をするのはマナー違反だ、五分でも早く起きて家でしてこい、それくらいできるだろうという人と、できない人の、差は実はこういうところにあるのかもしれない。

 

疼く

ピルを一日飲み忘れてしまって、気付いた時に飲んだのだけど手遅れだったようで、じわじわと痛みが日々増した。私費になってしまったけどロンドンに行って日本語対応の病院に行った。卵巣の腫れに変化なし。3^4cmの大きさは、手術をするには小さすぎるし、毎日を健やかに過ごすには大きすぎる。おそらく出血が近づいているから痛むのでしょう、と女医さんは言った。今が耐えどきかな、あと少ししたら治るよの言葉とは裏腹に、少しずつ出血して、諦めた。今から休薬。明後日から旅行。最悪のタイミングだ。市販の鎮痛剤が少しずつ効かなくなっていくのがわかる。下半身が重くなっていく。血が巡らない。体温が調節できない。疼痛。最悪旅行も全てキャンセル。

 

自分の性別に生まれたことを、あまり後悔したことはない。親戚には「お前が男だったら継がせたのに」と言われたけど、幸いにもネット経由で4年前にできた彼氏と今でも付き合っているし、東大で性別バイアスが不利に働いたことはほぼない。地方公立出身の女子はマイノリティとして、出自が不利なために逆に特権的に働いているのではないかと思うこともある。メイクもおしゃれも得意ではないけれど、最近は毛嫌いすることもなくなった。可愛いもの、美味しいものに目がないことも誰にも咎められない。でも、痛み止めを手放せず過ごす毎日や、自分の身体の中から産み出される赤黒いレバーのような血塊を見ていると、痛みやこんな穢らわしいものを生産するために女やってるんじゃないよなと思う。どうして私の生殖器官は、私に害ばかり及ぼすのか。セックスだって卵巣の腫れで激痛。不妊になる可能性も高い。私が死にたいと思ったから?でもそれはQOLを損ねて生き続けることではないし、それなら鬱の時と変わらない。私はこれからいろんなことを諦めていく。生きているだけで。