履修と現実

傲慢とプライド(素で間違えた、面白いのでそのまま書いとく、石油ショックと同じ部類のやつだね)傲慢と偏見(pride and prejudice)を行きの飛行機で見たのに内容を忘れかけて…今書きながらなんとなく思い出した。というのをタイトルを考えながら思いました。

 

履修を組んでいます。一週間授業お試し習慣があるのは日本の大学と同じだったので安心したけどそれでも悩ましい点はたくさんあった。こちらで学部三年(イギリスは普通の学士は三年で取れる)受ける人たちはこの学期3科目取るようなのだけど(日本の科目と違って一つがめっちゃ重い、うちの学科は小規模なのでだいたい10人程度のゼミ形式になる)、私はなんと自由に取れるのです。

というのも、交換留学生はだいたい自分の大学からこの授業を取れよ〜とか、単位互換ができる大学がほとんどなので要は自分の大学に合わせて取るからで、こちらの大学のうちの学部に限った話ではこの授業は取れるとか取れないとかいうだけで特に単位数とかの指定はしてこないから。

ところで弊学は単位認定とか、そういうところに関してはとても遅れている。本当に何がグローバルを目指すのだという感じである。こちらの授業は専攻でないにしても準必修程度の関連性はあるのだから互換できればいいのに、全て「その他の単位」としてしか認められず、「その他の単位」は別の資格を取るために取得しきる予定なので、私は互換のためのめんどくさい手続きも特にせずこちらの単位は全て放棄して普通に帰ったらもう一年卒業が伸びるだけなのだ。ということで自分の大学からの要求が特になく、本当に授業を何科目取るかが自分にかかっている。

で、こっちの人たち同様3科目取ろうかと思っていた。というか最低取得必要単位数があるものだと思っていたら、上のような事情で留学生には特にそういう最低基準が儲けられないらしく、「好きにしたら!」と言われてしまった。まあこちらの学部生を基準として3科目取ろうかと思っていたのだけど、ちょっと毎週必読文献がA4びっしりで170pくらいになるのはさすがに…と思ってしまったし、推奨まで読むとなると200を超えてくるのでさすがに2科目(それでも必読だけで100p)にしようかなと思いつつ、巷の留学生は「超勉強しました!大変でしたが濃い経験でした!」みたいなことをいうので少し焦りを感じてしまう。でも2科目で、授業時間が8hしかなくても全然暇ってことはないし勉強しないといけないと思うんだけどね…

 

でもなーと思う。超勉強しました!の大多数の留学生を見て自分は勿体無いことをしているのだろうかとか、せっかく来ているのにもっと英語で書いたりプレゼンしたりできるようにならなきゃ(というか帰国したらそれができるものとして扱われるのだろうから/偉いのかなあそれが…まあできた方がいいんだろうね)とか焦りをどうしても感じてしまう、けど。どうせ人は一年で圧倒的成長とかできないし、英語もそんなに喋れるように書けるようにはならないんだ。

私が留学したのは多分、繰り返しになってしまって恐縮だけど、あのままだと死んでしまうに等しいから、逃げ出して来たに近い。環境が変われば人は変われるなんてそんな甘いことは思ってはいなかったつもりけど、逃げ出さざるを得ないような沼にいたから。でもやっぱり来て見て1週間経って、特に英語がうまくなったとも思わないし、ちょっと落胆しているところがあって、やっぱもっと変われると思ってたんだなあという自分にも少しびっくりしている。

超勉強したいとか、そういうガツガツするマインドが最初からあまりなかったから、だからそんなに授業取らなくていいよ〜とも思うけど、それがまた不安になってくる。頑張ってないんじゃないだろうか。でもそれってまた結局人との比較だよなあ。「一緒の大学から来た留学生のあの子は5科目とってるのに…(でもそれ、別の学部だから科目の重さが違うし比較できないよね)」一つの科目に少し余裕を持って準備するくらいしないと私の英語力じゃ無理だと思うし、少しは勉強以外のこともする時間も欲しいよね…(でも、そのハンデを負ってでも現地の学生と同じだけ猛烈に勉強することが留学なんじゃないの)

 

(話は逸れるけど私の思考は基本的に()の繰り返しで、非常に効率が悪い。課題解決型の反対みたいなやつ、アドバイスをする側がイライラするやつ。女/メンヘラにありがち)

 

まあでももうどっちにしろ月曜日の授業、予習70p、さっきちょっと読んだけど30分で1pくらいしか進まなかったし間に合わないから、切って2科目になるんでしょう。

 

せっかくだからとか後悔したくないとかいう気持ち、人より強いんじゃないかと思う時がある。というかたまに許せない、強迫観念めくときがある。特に旅行する時やテーマパークに行く時、絶対効率よく回れる方法考え抜いて考え抜いて時間かけて考える。やっぱり逃げの積極性が強いんだ…。呆れてしまいます。だからこそ「逃げ出したい」の気持ちで来た今も心が安定して、不安に駆られてしまっているのだろうか。

でも勉強だけをずっとすることでわかりやすい努力の指標を得たところで後悔がなくなるのかな。いろんなところに行ったり、瞑想ヨガに顔だしてストレスマネジメントの仕方を学んで見たり、そういうことも私には大切なんじゃないかなあ。甘やかしているだろうか。思考は巡ります。小学生みたいなこと言ってるけど。

 

なんだかモヤモヤしてしまったのでバーっと書いてしまいました。明日はロンドンに誘われてしまった、ロンドンはサマースクールでいた時にほぼほぼ回ったので「ここ行かなきゃ!」とか特になく友人の行きたいところについていける余裕があっていい。そういう意味で2回目にあまり興味がない、ミーハー性、なんだかなあ…。

 

でもきっと多国籍の友人と巡ると全然違うんでしょう。昨日ロンドンで歩道に車突っ込んでたけど。

 

このほかにも清華大から来てる女の子と話したら中国は教育にすごく投資していることがうかがい知れたこと(トップ層だけだろうけど)や飲み会が飲み強制でなくてよかった(ムスリムの方とかいるから)こと、オンライン注文でお店で受け取りが送料無料で便利だったこと構内のレストランやカフェの食事は揃いも揃って微妙、、、お菓子は良い、などが今週の出来事でした。

他に膨らませたいのはどう思う?の質問の多さ/評価的な質問のこと、日本は同調だからあんまりないけど意見をこちらははっきりいうのでそれとつながりがあるのか的な。だが明日はロンドン早起きせねば…。

 

寝ます。

走り書き

ドライヤーですが無事に手に入りましたやったー!宅配は日本が神ですがアマゾンを使うならイギリスも負けてません。アマゾンロッカーでググってください。

 

こちらに来てから「あー、書かなきゃ忘れそう…」ってことは多いんだけどいかんせんめっちゃ疲れるのが早くて困っている。すぐおなかがすく。そしてすぐに眠くなる…。そして全く違う環境ながらもそれなりのスピードで順応しているので、当たり前でないことが当たり前になっていきそうで、だからこそ記録にスピード感が求められるように思う。すでに前回書いたコミュニケーションの総量が多すぎることに慣れ出していて恐ろしい。代謝の良さが求められそう…深く感じ入ったことよりもずっと質が落ちてしまうかもしれないけれど、貴重な時間の経験を忘れないように…

 

こちらに来る際は多くのイギリス留学ブログなどを参考にしたので、学校の事務的なことやスーパーには何があったマツキヨ的な所にはホームセンター的な所にはのような話はまた大学名がわかる形で別にブログを立ち上げて書こうと思うのだけど(先輩たちの生活記を読めて本当に助かっているので、利己的な私が珍しく心からやりたいと思えることである、ただ三日坊主なので本当にわからないが)とりあえずここではパッと思った、より個人的なことを。

 

そういえばこちらにきてから悲しいことはあってもODしようとかお守りがわりに持ってきたデパスかちこむぞ!という気にはならないし、慢性的な頭痛も低気圧なはずなのに東京にいた時よりマシだし、精神衛生はやはりすこぶる良いように思う。

 

私は美術系(作りはしない、視覚文化や歴史などアートを取り巻く分野だと思ってください)にいるのだけど。今日は初めての学部の顔合わせがあって、留学生は留学生でまとめられて新入生とは別にあった。そこでフランス人と話したのだけど(ところでイタリア人がたくさんいて、私並みに英語が下手なので驚いたしちょっとホッとした)、彼女、Shibariをやっているらしい。

仏「日本人なんだー!私はShibariの研究してたよ」

私「Shibari…?縛り…?(だいたいわかるけどこの脳内変換であってるのか?)」

仏「ウンウン!アラーキーとか(写真のジェスチャー)、モデルさんを」

私「あの、縛り上げるやつだよね、紐で」

仏「そうそう!日本人に話すとみんな変だっていうけど、そういうのじゃなくて、完全に芸術としての縛り、パリには二つの縛りのSchool(ここでのschoolが学校?教室という意味なのか流派という意味なのかわからなかった、多分前者?)があるんだよー!」

 

ええええ

 

日本の芸術も学んだことあるっていうからふーん北斎かなーとかそんな斜め上をいく回答だったよ。縛りって…。緊縛は確かに技術が必要なものだけど日本ではまだアングラぽさが抜けないし、芸術として、アートとして捉えられることもあるかもしれないけどエロ文脈で語られることの方が多いのではないかな。私が若干サブカルを薄く知っていて美術系にいたからうん、まあ、そういう見方もあるねと抵抗はありつつ飲み込めたけどこれを例えば法学とか経済専攻の日本人に話したらそりゃ変な反応が返って来るだろう。「日本のこと知ってるの!嬉しい!」と特に日本人はなりそうな気がするけどそのあと緊縛がきたらびびるよなあ。

 

日本について、知ってるよーの後に来る言葉って、想定内のものから斜め上をいくものまであって面白いなあと感じる。私のルームメイト(シンガポール人)は日本に行ったことないのに日本が好きと公言しているが、彼女の好きな食べ物は明太子らしい(明太子って有名なのだろうか…)そしてトトロを見たことがないのに可愛いからという理由だけでスマホケースがトトロである。後オムライス人気が高い。私は料理全然できない方なのだけど一人暮らしのおかげで少しだけは作れて(カレー、パスタ、焼き飯、麻婆豆腐など簡単なものしか作れない)、オムライス作れるよっていうと2回くらい沸いてくれた事例がありました。「卵出資するからオナシャス!!」とまで言われました。

 

私がロシア人にチェブラーシカ好きやでって言った時、相手も同じことを思ったのだろうか。

 

新規移転

このブログの更新ペースは2ヶ月に一度が限界なのだろうか。全然書く気なかったんだけど風呂入ってドライヤーが今ないので乾く前に寝るのは憚られて時間つぶしで書いている感じ。

 

おそらく前回の記事を書いた7月が一番鬱々としていた時期で、そこから8月進級に関わるレポートをなんとか提出して、インターンもやめてニートになって、就活も一切しなかった結果心身が休まりファッションメンヘラ(蔑称)にまで回復しました。きっと寛解です。もともと鬱じゃなかったんだろと思ってるけど…でもしんどい時はほんとしんどいので困ったものです。

 

そして元気だった頃に(去年の冬とか)に応募して通った交換留学になんとイギリスに来ています。全然実感なく来てしまったので初日空港で「え…この24時間英語の中に1年間いるの…」と今更すぎる感想を抱いてしまいました。

近所の心療内科の先生は本当に適当でポンポン薬を出すし本当に適当なので(レクサプロ10mg効かないですというと20mgになったが非定型で抗うつ剤を導入する必要のない状態であったからではとしか思えない)(慢性的な頭痛は持ってるつもりだったけど10日以上鎮痛剤飲み続けるのもどうなんやろかと聞いてみたところデパスが出て笑ってしまった)、「留学行って大丈夫っすかね〜」みたいに聞くと「まあ環境が変わると劇的に変わる人もいますしイギリスならメンタルヘルスは日本より進んでるしロンドンまで行けば日本語対応の診療所もあるし軽度だし行ってみれば」とあっさり言われたので来てみました。

でもあのまま日本にいても就活なんてできる精神状態じゃなかったし、どこかに逃げ出さないと行けないと思っていた。逃げ出して何かが良くなるなんて甘いことは思っていなかったけど、このままいたら悪化の一途だと思った。私の行動は歳をとるにつれて(この表現たまに20のくせに(あっ今日21になった)と叩かれるので好きではないけど本当にそうなので仕方ない)逃げの積極性という言葉がぴったりになって来ている。だからこれでいいのです。

イギリスに来てからは…一年の留学はもともと考えていたので、3週間ほどのサマースクールには奨学金をもらって参加したこともあるのだけど、海外に来るたびにコミュニケーションの総量に圧倒されてしまう。いや自分ら普段どんだけ喋るねん。特に今回は鬱々と引きこもり陰キャを極めた状態での開き直り出国だったので毎日とても疲れるし、英語は日常会話はできるけど他の留学生ほどネイティブ並みに話せるわけでは到底ないから余計に頭を使うし、そもそも日本で人とコミュニケーションを積極的にとる方でないのに話す話題がないだろ…。でも郷に入れば郷に従わなければ生きて行けません。そして一人になると陰キャがむくむくと頭を擡げイギリスの名高い天気と合間ってとても絶望的な気持ちになるのでうまく活用しようくらいの気持ちにならなくてはいけませんね。難しいよ…

昨日まではなんとかアニメ好きの友達を作って一緒にいたのだけど今日は行動がうまく合わず一人の時間が多くなってしまい、鍵垢のツイートが増える増える状態だったのだけど、留学生向けの無料プログラムの中に「meditation」があったので参加して来ました。

結果としては行ってとても良かった。一度初心者用座禅体験したことあるけど、その時から今に集中することって難しいよな〜とは思っていたからやっぱり難しかった。メンタル弱めの今ならなおさら否定的な考えが自分を支配しているので、難しい。

どうせカタカナの「マインドフルネス」だろ〜wとたかをくくって行ったら袈裟を着た丸坊主のお坊さん(ただイギリス人なので彫りが深い)が講話的なことまでしてくれて本格的だった。侮れない。

印象的だったのは「Does your mind helps you, or they hinder you 」という問いで、なんというか、自分は「こうしたら元気になれるんじゃないか!」とか「◯◯な人は幸せ」とか、その人の気持ちを取り巻くものによって気持ちが向上すると考えていたんだけど、気持ちがまずあって、それから他のいいものも付いて来るというか。気持ちが付随的ではなく、それが主体的という考え方が、よく言われてはいるけど、初めて腹落ちする感覚で理解できた。

こちらに来てから、まだ正式な授業は始まっておらずオリエンテーションだけだからかもしれないけど、自分に対して肯定的(positive)本当の意味で肯定的な言葉遣いだなということを感じる。だから自分が動くだけのエネルギー(=自信)があって、自己成長というサイクルが嫌味にならず自然に行えているのだろうなと…

具体的にどういう言葉から思ったかとか、眠くて思い出せない…他にも書きたいことはあったのだけど慣れない環境で本当に眠い 毎日22:30就寝6:30起床でほんと鬱抜けの生活をしている とりあえず髪だいぶ自然乾燥できたので寝ます

ドライヤー普通なら売ってるはずなのに留学生がみんな買って行っちゃって近所のお店には在庫がなかった辛い 毎日こんなに時間かけるのもやだし寒いと風邪ひくし何としても手に入れなくては 手に入るまで風呂に三日に一回とかしか入れねえ いや寝る

二ヶ月

本当に三日坊主なので二ヶ月経ってしまった。

本当はフォローしている方達の投稿のように興味分野についてつらつらと書いて楽しい記録にしたいのだけどなかなか。

今は図書館に作業をしに来ているのにやる気が出ず、やっぱり気持ちを書き出したいときは鬱気分の時らしい。

 

残念ながら?本当に鬱になってしまったようだ。親しい人と話しているときは特に感じないし、大丈夫なときは本当に大丈夫なのだがダメなときは本当にダメなので辛い。眠れるし(むしろ仮眠で昼夜逆転気味、睡眠リズムが狂っている)ご飯も調子いいときは普段通り、調子悪くてもちょっと食欲ないくらいで、好きなものは好きと思えるので先生もそこまで重くはないですが、と伝えてくれた。

今はレクサプロとドグマチールを夕食後に一粒ずつ飲んでいます。喉が乾く。

初めて飲んだ翌日は久々にとても気分が軽くて、「現代医療すげー!!!」とばかりにベッドから飛び起き汚い部屋の中足場を確保して嬉しく歩いていたわけですが、二日目からは母と電話で話す回数が増えたから調子がいいのかなんなのかわからなくなり、またそこまで強い晴れ晴れとした気分も感じなかったためによくわからなくなりました。

 

どこか自分は考えることがコンプレックスになってしまっていて、それはずっと心の根底にあったものなのだけど、学科の授業が進むにつれてそれがまた顕在化して来てバランスが崩れてしまった。それと留学準備のプレッシャーやらなんやらが重なってダメになってしまったと自己分析しています。

 

時系列で思い出すと。

六月初めにはもう諦観というか、授業に出ても何も頭に入ってこない状態になっていて、本当に出席稼ぎのためだけに学校に行ってた。

六月中旬、勉強というか考えることはストレスなので学科の旅行を蹴ってしまって(キャン料高かったのに)彼氏とお寿司を食べても元気にならなくてやばいな、と思って、そこから一週間はまた地獄というか、もがいている感じで苦しくて翌週末実家に帰った。

さすがに空港に着いてから車に乗って家に帰ってしばらくは涙が止まらなかった。でも段々回復して提出するべき書類も書いてそれなりに元気になって東京に帰った。帰ってから奨学金の合宿もギリギリ出て、そんなに意識高いスーパーマンみたいな人ばっかりじゃないことに安心して普通に戻っていたと思った。

だから油断して就活のクローズド体験会に行ってしまった。社員さん自体はとてもいい人で楽しいしご飯も美味しかったしよかったのだけど、考える人や向上心のある人がやっぱり欲しいよな、ということはまざまざとわかったので、その日の夜からまたしんどくなった。どこの職場もそういう人が欲しいだろう、私はどこで生きていくんだろうと思った。単純労働なら選ばないだろうけどそんなんじゃお金稼げないオタク活動できないし、なんだかなあという感じで、モヤモヤがかかって、また苦しくてもがく感じだった。それと他の子がESを書き出していると言っていたので聞いたらやっぱり「困難を乗り越えた経験」やら「リーダーシップをとった経験」やらで昔のセレクありの意識高めのサークルに入っていた時の新歓を思い出してトラウマ的に嫌気がさした。

 

それから7月。よく覚えていない。活動できて、元気になれそうなタイミングはいくつもあるのだけどそれをことごとく潰しているようで、結局最後には気分が落ち込んでいた。考えたくないから昼から寝て生活リズムが狂った。寝れない時は目の前をコンテンツで埋めようとアマゾンビデオで仮面ライダーを永遠と見ていた。考えなくて済むから。家事類が全くできなくなって、ゴミ屋敷のような部屋に住んでいることがまたストレスになった。外で動けても帰って来たらダメになるので彼氏の家に二日ほど避難した。こんなメンヘラのどこがいいのかと思うが合鍵をくれて、本当にいい人だ。勉強頑張ってください、応援しているよ。でも結局彼氏の家でも夜苦しい旨を訴え大泣きしてしまった。

一年の冬にも感情のコントロールがしんどくなってメンタルクリニックに行ったことがあるのだけど特に異常なくカウンセリングだけで終わって、お金もカウンセリング代と初診料でかなりかかったのでそこから病院は避けていた。でも泣く私を見兼ねた彼氏含む知り合い3人に一回行ってみたほうがいいと言われたので病院に行った。そしたらあっさり鬱と言われカウンセリングも何もなく問診だけで薬が処方された。

 

正直鬱と言われたことは第三者視点で捉えてしまって、元気な時は甘えだと感じて自分が本当に鬱なのか疑わしくなる。鬱といっても非定型じゃないのか?非定型、甘え感が強くてなりたくないと思ってたからなおさら…でもダメな時は辛くて、これが甘えならなんでこんなに辛いのかと思うので病気ということにしてくれたほうがよっぽどいい。それに鬱という名前をもらってからこれはなんなのか甘えなのか性格なのかとか泥沼のような思考の渦に巻き込まれる回数は格段に減った。苦しいとか頭が動かないとかはあるけど、薬のおかげか自己卑下的な思考には陥りにくくなった。

 

まだ重くないようだし自分でもそう思うので、うまく最低限のことだけやって生きていきたい。今週末はアニメイベントだ、無理せず楽しみたい。

勉強の哲学でも読むか

読まないフラグだろう。千葉雅也、今度サイン会あるらしいけど。

 

自分の中ではかなりしっかりと準備をしなければならない発表を終えた。また明日レポートとテストが待っているが大変なものではないので、何とかなるだろう。

 

発表のためにはレジュメを作る必要があるが、私は本当にprocrastinatorなので(やめたい)発表一週間前になってようやく準備をはじめ、文系よろしく切れる授業は全部切って使える時間を全部突っ込んでレジュメを作るという本末転倒な学生生活を送った。一週間だけど。

大学に入ってからというものの学問、をしていない。テスト勉強や受験勉強はある程度対策する箇所が解るし、やったことが点数で評価されるから割と得意だ。学問、研究とでもいうのだろうか。つくづく楽しくないと思ってしまう。大学に入って、国の金でこの環境が整っているのに、もっと勉強しろよとも思うが、自分にとって大学に入って、学問が向いていないということがわかっただけでも良かったのではないかと思っている。そう思わないとやってられない。(もちろん学問以外の面ではたくさん学ぶことがあり上京して大学に入りとても良かったとは思っている)適性がわかっただけでもよかったではないか。私が楽しかった(?)のはやればやるほど正解できる受験勉強で会って、学問とは違うのだ。後期課程に入ってからひしひしと感じている。コレクション型、そうだと思う。一般教養の講義を重ねて知識を増やす方が好きだ。それに対して考察しようとか、突っ込みを入れようとか、あんまり思えない。そこまで強い何か信念を持つような性格でもないし。私は、知ることがゴールで、いい。

レジュメを作りながら人文系の研究の時間のかかり具合を改めて実感し、理系もそうだから研究費が大変なんだろうなとガチガチの文系の私はやっと思いをはせることができた。でもこんなに時間がかかるもの、私はやってられないと思った。せめてもう少し短くないとモチベーションが持たない。

 

テレビに出ている東大生は、「勉強しかしてこなかったんで~」と自らのコミュ障ぶりやダサさに対して言い訳していることが多い。今までの私は、自分が中高大と受験を繰り返して基本的に勉強をたくさんして大学に入ったので、そればかりしていたせいで女の子らしくヘアアレンジができないとか、そういう意味で彼らにとても共感していた。高校の時友達に休日何してる?と聞いたらYouTubeで編み込みの動画見て練習してた~って返事されて本当に驚いた記憶がある。勉強しなくていいの?そんな時間の使い方があるの?と思った。あと数年前のドラマ見直してる、とか。今してるドラマを見るならわかるけど数年前のドラマ見直すか?そんな風に時間を使うことができるんだ、と。純粋に思った。私はその間基本的に塾にいた。

でも同時に、私はこれから勉強しかしてないなんてとても言えない。東大生、教養があってよいというプラスのイメージにもそぐえないと思う。

つまり、東大生に対する

-「ダサい、自分たちとは住む世界が違う、頭でっかちな人」

+「すごい、とても教養がある、強い学問分野(専攻)がある」

どちらのイメージにもそぐわないし、なんならダサい(服装は普通なのでおしゃれではないくらいで許してほしい。キラキラ女子大生の横に並ぶとそりゃダサいし髪とかはできないけど、、ダサいのか。)くらいしか当てはまらない。

ダブルバインドというか。使い方違うか?

どちらにしても大学の所属を肩書にして生きていくことはプレッシャーになる。

 

そういえば前、サークルで代表のポジションにいた時に、仕事を振りまくっていたし、そこまで自分の時間をサークルに割いていたわけでもなかったから、代表というのは自分からそこまで言わないようにしていた。「代表やってるんだよ~!」と友達に紹介されても、「いやいや…」という感じで濁していた。

けれど何かで見たけれど、例えば会社の部長とか、「長」のポジションについている人が、自分の肩書を自信を持って言えないのは、それは責任から逃れていることになるらしい。自分はそれにひどく納得した。代表の座を全うしようという気概がないのだと思う。それは大学の、+の方に対する抵抗感にも同じく当てはまると感じた。

 

レジュメ作成のために明治大正期の文章を読んでいたのでつられて「ひどく」とか文体が変になっている。

 

レポートを書きます。